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準備が整うんじゃ

どうも村田です

短い作戦のただ一度

限りということが、

あるいは

彼の戦争観に一種の

影響を与えたかも

しれないのだ。

というのは、つまり

戦争というのは楽な

ものだというような、

そういう楽観癖を

与えたかもしれないのだ。

つまり、戦闘の現場で

兵士たちがなめる本当の

苦労というものを

あまりよく知らない

ままに、調子のいい

ところだけを見て

過ごしてしまった

ということなのだ。

当時、参謀本部の作戦

部長であった石原莞爾

(かんじ)だが、

石原莞爾(かんじ)は

こうした形で戦線が拡大

していく、

東條までが実戦の指揮を

執って張家口まで行く

というような戦争拡大の

方向を非常に危ぶ、

これに非常に反対だった

のだ、作戦発動に反対

だったのだ。

一方、この機会に支那事変

の戦線を拡大して、何か

日本に得るところ

あらしめたいと考える

拡大派ももちろんいたのだ。

例えば武藤章(あきら)

といった若手幕僚なのだ。

この若手幕僚が関東軍の

戦いを指示するために、

参謀本部としても作戦を

発令せざるを得なくなった

のだ。

石原莞爾(かんじ)が

事変の拡大を何とかして

防ぎたいという努力は、

このようにとかく

積極拡大派との衝突を

起こしたということが

あったのだ。

さて、大正13年の春になると、

総理大臣の近衛、この人が

1月13日に、

「以後国民政府を相手とせず」

という声明を出したのだ。

そして、和平交渉を

打ち切ってしまったのだ。

しかし、それがいかに

愚かなことであったか

ということには、もう

間もなく気が付くのだ。

その後悔に、その声明を

出してしまった後で非常に

悩まされるのだ。

むしろ、再び蒋介石政府

に和平交渉の相手となって

もらいたい、

いや、むしろ何とかして

その和平交渉を再開

しなくてはならないと、

そういう状況になって

いたわけなのだ。

それには、あの声明を

出すに至った責任の大半

を担っていた

外務大臣、陸軍大臣、

この2人の大臣を更迭

しなければならない、

取り替えなければ

ならないと、そう

考えるのだ。

外務大臣は広田弘毅、

それからこの人も

このころは事変の解決に

非常な苦労がかかる

ということに気が付いて、

少々嫌気がさしていたらしく、

外相を退けという近衛の

勧めに簡単に応じ、あっさり

と辞任してしまうのだ。

問題は陸軍大臣をしていた

杉山元(はじめ)であるのだ。

総理の近衛は蒋介石との

交渉継続を強く主張していた

多田駿(はやお)、

この人は参謀次長であり、

そして事変不拡大派の

旗頭であった

石原莞爾(かんじ)、

この石原と、それから

多田駿(はやお)に

思想的に近い

板垣征四郎中将を陸軍大臣

にすればよいと、こう

思うのであるのだ。

当時その陸軍大臣を更迭

すると申しても、当時

総理大臣に大臣の任免権

というのはないのだ。

それを交代させるため

にはかなりの苦労がいる

のだ。

とにかく説得しなければ

いけない、命令はできない

のだ。

それで何とかして

板垣征四郎を大陸の戦場

から呼び戻したいと考え

たのだ。

板垣征四郎が辞める

ということが分かると、

次官に梅津美治郎、

これは後に参謀総長、

終戦時の参謀総長で

あるが、

梅津美治郎は次官の

後継者はやはり今大陸に

いる東條英機を呼び戻す

のが良いだろうと考えて、

その工作に取りかかり

そして、この工作は

どうやら成功するのだ。

つまり、杉山元(はじめ)

をとにかく辞めさせて、

その後に板垣征四郎を

持ってくる、

この人事が成功したこと

によって近衛はやや

中華民国との和平交渉に

希望を見いだすわけなのだ。

とにかくこうした次第で、

東條は昭和13年の6月を

もって、ついに国政の

中枢部に参画する機会を

与えられるということに

なるわけなのだ。

それは決して自分で

求めた地位ではなくて、

幾つかの偶然の要素が

重なって、彼をこの

陸軍次官の地位に

引き入れたと見るべき

なのだ。

近衛は当時、何とかして

中華民国との停戦交渉を

続けたい、

その停戦の成立を望んだ

ものだから、杉山元

(はじめ)を切って

板垣征四郎に替えたのだ。

この人事の成功を当初は

非常に喜んだのだが、

どうも近衛の思惑は外れた

ようなのだ。

つまり板垣征四郎という

人は軍政上の手腕がある

わけではなかったのだ。

それで次官に据えた

東條の綿密で、かつ

最新の政治的手腕の方が

はるかに優れているという

ことが分かるのだ。

次官ともなると、陸軍大臣

の席はすでに目の前にある

のだ。

そして東條次官、この人

の敏腕は板垣大臣を圧倒

しているということが

誰の目にも見えたそうだから、

当然近衛の目にもそれが

映っていただろうと思われ

るのだ。

東條自身も人事権を振るう

ことのできる次官の地位に

就いて、権力というものの

持つ魅力を覚えたかも

しれないのだ。

彼が後に世界史に参画する

という準備はこうして整う

わけなのだ。

続きは次回だ

今日はこのくらいにしといたる

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