どうも村田です
甲種に合格した
幹部候補生は
昭和13年までに
原隊において
11ヶ月間教育し、
その後は4ヶ月間の
見習士官を経て、
予備役少尉となって
除隊したのだ。
昭和14年以降は原隊
ではなくて、
予備士官学校という
ものをつくり、
例えば豊橋、仙台、宇都宮、
久留米などだが、そういう
所に入校して11ヶ月間の
教育をして、
見習士官を経て少尉に
任官したのだ。
予備仕官学校に在籍している
間は、士官学校の本科と
同じように軍曹の階級章を
付けるけれど、
階級章の横の座金に丸が
付いているから、これで
幹部候補生であることが
分かるのだ
将校になる道には、別に
特別操縦見習士官という
のがあったのだ
これは大東亜戦争後期の
昭和18年に航空機操縦用の
将校を速成に育成するため
のものなのだ
専門学校や師範学校以上の
教育を受けた者、
専門学校や師範学校以上
というと、中等学校よりも
上の段階なのだ
今で言うと短大以上の上
ということになるが、
そういう所を卒業した者から
志願者を募って、
試験に合格した者を
いきなり曹長の階級章を
与えて見習士官として、
1年半の教育をして
予備役少尉とし、操縦者、
要するに操縦かんを
握らせて飛行機乗りにした
のだ。
操縦適正を外れた者は、
乙種の幹部候補生として
嚮導団(きょうどうだん)
に入れたから
この場合は下士官になる
わけで、将校にはなれない
わけなのだ
この特別操縦見習士官出身
の将校は、約1,000人いた
とされているが、このうち
約300人が特別攻撃隊、
特攻隊で戦死をしているのだ
最後は、兵科以外の将校だが
兵科について説明すると、
戦闘、あるいは兵たんを
担当することで、
軍隊には兵科以外に軍医、
法務、経理、獣医、獣医
というのは馬や犬を担当
するのだが、
それから薬剤の職種があり
これらを非兵科士官と言うが、
これらの非兵科士官は一般社会、
軍隊では地方と言ったが、
地方では一定の資格を得た
者を召集して将校としたのだ。
例えば軍医は大学の医学部を
卒業して医学士となって、
医師の国家資格を持って
いれば召集していきなり
軍医中尉にしたのだ
医学専門学校を卒業して、
医学士ではないが医師免許を
持っている者は、軍医少尉と
したのだ。
同じく裁判官、あるいは検察官、
高等文官試験に合格している者、
今で言うと上級職、一種試験と
言うが、キャリア官僚なのだ
そういうものに合格している
者は召集していきなり中尉に
したりすることがあったのだ
特に裁判官や検察官の場合には、
いきなり法務中尉にしたのだ。
少尉を吹っ飛ばして中尉に
するわけで
その分、長く勉強してきた
ということだと思うし、
それだけ地方において、
要するに一般社会において、
すでに身分が確定している
ということに敬意を表して
いるのだと思うのだ
経理に関しては、陸軍
経理学校というものが
士官学校と同じ位置付けで
あるから、
旧制中学校を卒業して
経理学校に入るわけだが、
旧制中学校から3年ないし
4年の教育を経て主計少尉
に任官したのだ。
さらに甲種幹部候補生試験で
主計科に回れば主計少尉に
なったのだ
こうした人の多くは、
要するに兵科士官ではなく、
主計科に行く人だが、
大体視力の問題で
兵科士官から不適とされ
主計に回されたという人
が多いと思うのだ
陸軍大学校について説明
するのだ
陸軍大学校は陸軍の
最高教育機関で
参謀、ならびに最高指揮官
を育成、養成するために
明治16年4月に開校したのだ。
当初は参謀本部内に設置
されたけれど、後に東京の
青山に移転したのだ。
現在、その場所には港区立
青山中学校があるのだ
港区立青山中学校の一角
には陸軍大学校跡の碑が
今でも建ってるのだ
プロイセン陸軍から
メッケル少佐というのを
招請して、教育に当たらせた
のだ
陸大は陸士を卒業して
3年経つと受験資格が
できるのだ
一番若い人は24歳、中尉に
成り立てで以後8年間、
受験資格があるのだ
陸士を卒業して9年経つと
受験資格がなくなるのだ
陸大を受験することは
できなくなるのだ
陸大を受験するには、
所属する部隊の部隊長、
歩兵部隊なら連隊長の
推薦が必要で
学科試験は地方ごとに
行なうのだ
そこで合格した者は、
予定の倍合格するのだが、
その者が陸大に実際に来て、
そこで口頭諮問、今で言う
面接を行って、そこで
合否の判定が出るのだ
明治18年12月に第1期生
10人が卒業したのだ。
10人は陸軍草創期から
1人、旧2期から5人、
旧3期から4人がこの
内訳なのだ
草創期は東條英機大将、
大東亜戦争が始まった
時の首相だが、
このお父さんの東條英教さん、
これら10人のうち
東條英教さんら3人が
成績優秀者として
恩賜の軍刀を拝受したのだ。
成績優秀な人には
恩賜の軍刀というのを
頂けたわけなのだ
続きは次回だ
今日はこのくらいにしといたる