どうも村田です

日本軍は、武装解除を
しようとしていた
ところだったのだが、
独断で自衛戦による
反撃を命じて、ロシア
の侵略を大幅に遅らせた
と言うような方なのだ
で、この樋口の決断と、
もちろん現地軍の実際に
戦った頑強な抵抗と
言うか、
奮戦がソ連が目論んだ、
スターリンが目論んだ
北海道占領、
千島だけではなくて、
それから北海道までに
なだれ込むという
北海道の占領、
あるいは北海道を占領
することによって日本を
ドイツのように分割統治
をするという、
そういった悪夢を防いだ
というように思うのだ。
そういう意味では、
北海道を守った男と言って
いいのではないかなと
思っているのだ。
それだけではなく
ハルビン特務機関長を
務めた満州時代に、
1937年から1938年なのだが、
その時に、ナチスドイツの
迫害から、
多くのユダヤ人が難民
としてアジアに流れてきた
のだ。
救いを求めて逃れてきた
ユダヤ難民の多くを救出して、
歴史に名前を残しているのだ。
こういうことから現在
多くの顕彰活動が続いて
いるのだ。
少し具体的に申すと、
2022年10月に、淡路島
故郷の淡路島の
伊弉諾(いざなぎ)神宮
に、銅像が建立されたのだ。
2023年5月、鎌倉の円覚寺
に顕彰碑が建てられて
いるのだ。
さらに北海道に同じ
ように銅像を建立する
という計画が現在
進められているのだ。
こういうように顕彰活動が
今かなり進んでいるのだ。
これまでは戦後、
軍人であるとか、
情報機関に関わった
ということで、
彼の功績が正当に評価
されていなかったという
こともあって、
今多くの人たちが、彼が
成し遂げたことを顕彰
しながら
現代に生かしていこう
というような動きが
進んでいるのだ。
こうしたソ連の北海道を
占領していた樋口の行動、
先見性について、
あるいは戦略、決断、
指導力について紹介
したいと思うのだ。
さて、皆さんご承知の通り、
日本陸軍は、統制派と
皇道派という、
大きく分けて2大派閥
というか、大きな人的な
集団に分かれていたのだ。
統制派と皇道派の2つに
分かれたのだが、
どちらかというと、
皇道派に優秀な情報将校、
インテリジェンスオフィサー
が所属していたというか、
多くのインテリジェンス
オフィサーが実は皇道派
といわれるグループに
属していたということが
言えると思うのだ。
例えば、皇道派の頭目の
真崎甚三郎、小畑敏四郎、
そして辰巳栄一、
それから小野寺信(まこと)
と、こういった人たちと
ともに、樋口は皇道派に
属しており、
「中国とことを構えたら、
泥沼になってしまう。
そうしていると、いずれ
米英と敵対してしまって、
最後に間隙を縫って、必ず
ソ連が来る。ソ連が米英と
戦っているところに侵攻
してきて、
日本が赤化されてしまう。
共産化されてしまう」、
だから中国ではなく北進、
つまりロシアと相対して、
そのソ連を脅威と警戒して
いたというようなグループ
だったのだ。
実際に、樋口さんは、
日中戦争の打開を目指して、
長引く日中戦争を何とか
手打ちをしようと、
国民党の汪兆銘を担ぎ出して、
傀儡(かいらい)とは
言われたけれど、
汪兆銘政権で、何とか
和平を目指すのだ。
こういうことをやった
のは、彼が情報部長の
時だったのだ
小野寺も、同じ時期に
情報部のロシア課に
属していた時に、
汪兆銘の擁立とは別に、
蒋介石との直接和平を
試みるのだ。
同じように、何としても
日中戦争を早く終結
させようというような
動きを2人ともやっている
のだ
よく言われるのだが、
皇道派というのは皇
(すめらぎ)の道の派閥、
つまり神がかりの、何か
天皇崇拝で、どちらか
というと精神主義というか
内面主義だったのでは
ないかと言われるのだが、
実はそうではなく、
最も開明的なインテリな
情報将校が多かったのだ。
例えば、小畑敏四郎さん
というのは皇道派の重鎮で、
樋口さんも対ロ
インテリジェンスの
マスターだったのだが、
対ロ、ロシアに非常に
精通して、やがては
ロシアと覇を競うように
なると、
そのための準備として
いろいろなところに、
優秀な人材にロシア語を
学ばせて、
ポーランドやバルト3国に
送り込むような、そういう
ようなことをされた方なのだ。
そして、辰巳栄一さんは、
ロンドン駐在武官として
務めた時に、
大使が吉田茂だったという、
そういうご縁で、戦後、
吉田茂のブレーンを務めるなど、
非常に頭脳明晰な開明的
な方だったのだ。
続きは次回だ
今日はこのくらいにしといたる

