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良いわけないんじゃ

どうも村田です

元号1つにもこれだけ

先人たちの努力があって

きちんと維持された

というのが現実だった

のだ。

そのことを言うだけ

でも大変だったのだ。

自身が政治を学んで

いながらも、国史クラブ

にはまり、大学を卒業し、

皇室に関心を持つ

きっかけはそもそも皇室に

興味があったのは

中学からずっと続いて

いるわけだが、政治学を

やっている中で、

外国においてはやはり憲法

などをやっていても、

同時に教会法などをやる

わけなのだ。

国家と宗教との関係

というのは同時にやるの

だが、日本はやらないのだ。

精神的支柱みたいなものと、

国の在り方というのが

非常に深い関係性というか、

関心が外国においては

あるのに日本ではない

わけなのだ。

そういうところに気が付いて、

「じゃあ日本においては何かな」

と思うと、

当時やはり政教分離裁判

などがあったので、神道

というものとどう関わる

のか

というところから興味を

持ち始めて、大学院では

その勉強をしたのだ。

そうなると、早稲田で

勉強をしているよりも、

大学院は早稲田だったが、

近くの國學院の先生に

習いに行ったりという

ところから

だんだん神道というもの

に近付いていったというか、

それが研究テーマになって、

その先に皇室があったのだ。

もう一方で

宮中祭祀(さいし)

というのがあるから、

そういう感じなのだ。

麻はつい最近だが、平成28年

ぐらいに三重県の産業界の

方々がニュービジネス協議会

というのを作っていて、

これは全国組織の支部

みたいなものなのだが

伊勢で新しい事業をやろう

とした時に1つの提案があって、

「非常に麻が危機である。

神宮のある伊勢で作っていこう」

と産業界の方が思われて、

補助金を取って、栃木と

いうところが産地なので、

そこに修行に行っている

人が帰ってくるのだ。

大森由久氏(麻農家)

国内の麻生産の90%以上

を占める栃木県における

麻農家の七代目。

2012年4月「日本麻振興会」

設立、会長に就任。

帰ってくるにあたっては、

薬務感染症課というところ

が免許を出すので、

そこで取らないといけない

のだが、少し厳しそうだ

ということで、

使う方の神社界の応援で

「ぜひ出してあげてください」

というようなことを

してくださいというので、

依頼がきて、

神社界とつないだという

のが最初だったのだ。

大森さんのところに修行に

出られていた谷瓦ご夫妻を

きちんと作れるように、

麻が栽培できるように

バックアップしたところ

からなのだ。

もともと、免許が出せる

ように応援する応援団で

あって、主体ではなかった

のだ。

それも、当時の三重県の

ルールでは、産業用は

ダメだったのだ。

もう伝統文化しかダメと

いうことで、産業界の人が

作りにいくというのでは

門前払いにされるわけなのだ。

それで、組織を変えて、

皇學館や神社を中心の

組織に変えて、

免許を取りに行くという

話になって、それで表に

立つことになってしまった

といういきさつなのだ。

表に立つようになって

しまったと言えば、

皇統問題に関しては

あの有名な漫画家さんが

大きな、ある意味での

影響があって

それも私は皇位継承問題

についても主体的にやって

いたというよりは、

後輩であり、言論界に

おいては先輩に当たる

八木秀次さんがずっと

熱心にやっていて、

それを傍目で見ながら

「大事な問題だよな」

と思いながら、

勉強をしていたのだ。

八木秀次(麗澤大学教授)

昭和37年生まれ。専攻は

憲法学、思想史。

人権、国家、教育、歴史

などについて保守主義の

立場から幅広い言論活動を

展開。

第二次安倍内閣の教育

再生実行会議委員。

最後の最後の方になって、

皇學館のもうお亡くなりに

なったけれど、

田中卓(たかし)先生

というのがるのだが、

田中卓(たかし)先生が

「女系でいいじゃないか」

という論文を当時

『諸君!』に発表されたのだ。

それで、私はずっと

『諸君!』

にも書いていたので、

田中先生を紹介したのは

私だったので、いろいろな

人から「責任取れよ」

というようなことを言われ、

「じゃあ」ということで、

田中先生への反論を、

その時はまだ

「学問的にいいとは

言えませんよ」という、

言い方はきつかったが、

中身は結構謙虚な言い方で

していたのが始まりなのだ。

ちょうどそれが小泉内閣が

いよいよ

「女系OK」

のものを国会に提出する

という瞬間だったのだ。

その反論を、最初は

『神社新報』、その後に

『諸君!』に書いて、

それが出た時に紀子様が

ご懐妊されたのだ。

続きは次回だ

今日はこのくらいにしといたる

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