どうも村田です

日本史に
関していうと
「建国の体制
から始める」
と書いてあるのだ。
「国の始まりから
書き始めます」、
つまり
「神武天皇から
書き始める」
ということになって
いたのだ。
この時はまだ
検定教科書の時代で、
いくつもの種類の
教科書があった
時代なのだけれど、
明治26年に出た
『帝国小歴』や
明治27年に出た
『日本歴史』
には全く神話が
出てこないのだ。
神武天皇から始まって、
「神武天皇が現在の
天皇陛下のご祖先ですよ」
という形で書いてあった
のだ。
ところが、この
教科書が明治32年ごろ
から変化していくのだ。
どういうふうに変化
したかというと、
神武天皇の記述の前に
「天照大神
(あまてらすおおみかみ)」
や「三種の神器」
「天孫降臨」など、
そういう項目が付け
加えられたのだ。
それらを付け
加えたうえで、
「神武天皇は人間と
しての天皇の第一代です」
というような書き方に
変わっていくのだ。
それが明治23年に出た
『帝国史談』や
明治34年に出た
『小学国史』
などの教科書では、そう
いう記述になっているのだ。
では、なぜ、
明治20年代から30年代
にかけて教科書が変わって
しまったのか?
1つは、井上毅(こわし)
が亡くなったということが
大きいのだ。
井上毅(こわし)が
明治28年3月に亡くなって
しまって、生き証人が
いなくなってしまったのだ。
それから、日清戦争が
明治27年から28年に
かけてあったのだ。
日清戦争に勝ったものの、
三国干渉を受けてロシア
と戦わなくてはならなく
なってくるということが
予想されている中で、
特に帝国議会を中心に、
「もっと忠君愛国を
徹底すべきだ」という
議論が出てきたのだ。
その議論を受けて、
「神話の部分まで
きちんと教えろ」
ということになった
ようなのだ。
この結果として、
明治30年代には、
言い方を変えれば
『勅語衍義(えんぎ)』
の路線が教科書に反映
されるようになったのだ。
それが明治37年からの
国定教科書の基本に
なったのだ。
つまり、天皇「神孫」論
と天皇君臣「徳義」論の
教科書につながって
いったのだ。
しかし、本来は
井上毅(こわし)の
意図としては
君臣「徳義」論が
中心なのだけれど、
だんだん時代の要請
としては
天皇「神孫」論が
中心になっていく
という流れがあった
わけなのだ。
これは学校の中の
話ではそうなのだ。
では、民間は
同じような流れだった
のか?実は違うのだ。
教育勅語が出た時に、
民間でもいろいろな
解説書が売り出された
のだ。
それが今、資料集
として集まっている
のだ。
その中でいうと、
例えば太田教尊という
人が書いた
『勅語と仏教』
という解説書があるのだ。
ここでは、
「なぜ、天皇陛下を大事に
しなくてはいけないのか?」
ということを、
仏教の因果応報の
論理で説明しているのだ。
どういうことか
簡単にいうと
「この世でいいことを
したら次の世でもっと
いい立場で生まれられる」
というように、
人間は輪廻(りんね)
転生を繰り返すわけだが、
「天皇陛下が今どんな
地位におられるか?」
「どうしてこの方が
天皇陛下でおられるか?」
というと、
「前世において徳を
積んだ方なのだ。だから
現世において大事に
しなくてはいけない」
という仏教の理論で
説明しているわけなのだ。
これには神話は
関係ないのだ。
それから、石川喜三郎
という人は『勅語正教解』
という本を書いているのだ。
これはキリスト教の
立場から教育勅語を説明
しているもので、
キリスト教の神観念から
天皇陛下の大事さを
説いているのだ。
これは、
「この世は全知全能の
神が支配しているのだ。
だから、
全知全能の神がお気に
召さないものは続かない。
ところが
日本はずっと天皇陛下が
続いている。ということは、
天皇陛下は神様に認め
られているのだ。
だからキリスト教徒は
天皇陛下を大事に
しなければいけません」
という論理なのだ。
それから重野安繹
(やすつぐ)という
東大の先生は、
「教育勅語は儒教の考え方だ」
と説明しているし、
ジャーナリストの徳富蘇峰は、
「教育勅語はすべての道に
通じる教えを書いているのだ」
というふうに言って、
重野に反論したり
しているわけなのだ。
続きは次回だ
今日はこのくらいにしといたる

