どうも村田です
のんきに暮らしている
日本人の良きにつけ悪しき
につけ困った面も含めて、
あるのが縄文文化ではないか
と思うのだ
だから、地政学的に
何かに守られていて、
争いや戦いを知らずして、
「それでは民族文化が
あったのか、なかったのか」
という話になると、実は
あったのだ
民族と人種は別で
人種というのは DNA鑑定で
出てくるような血統のこと
だが、
民族というのはその地域や、
ある集団の中で長い歳月
培われてきた文化を指す
わけなのだ
例えば、縄文時代には
35センチを単位とする
「縄文尺」というものが
あり、
例えば、床の高さが 70センチ、
廊下の幅が、というふうにし、
35を単位とした「縄文尺」
というものが行われていた
ということは、
何らかの民族文化があった
ということを示しているのだ
そのことから高床式の家が
想定されるわけなのだ
高床式というのは上の方に
米を貯蔵する米蔵を置いて、
下は足が長くて、要するに
床が高いものを指すのだ。
最近日本ではガレージを
作って、下は高床式にして
いるというような家も増え
たが、あれは意味が違うのだ
昔の高床は、やはり湿気を
防いだりするためにそう
なったのだ
そういった高床式の建築で
あるとか、いろいろな
意味で民族文化というのは
非常に大事で、
さらに言うと無変動文化
だったということなのだ
何度も言うが、考古学者に
言わせれば、この無変動文化
はエジプトに並ぶ
長期無変動文化だということ
なのだ
有名なのは土器文明と
言われる「土器」で
縄文土器の、有名な
「火焔土器(火焔型土器)」
というものがあるのだ
炎の形をしている土器で、
見たことがあると思うが、
火焔土器は土器の中でも
たくさんあるわけでは
ないのだ
これが代表的だという
わけではなく、いろいろな
土器があるのだ
何しろ形がすさまじく
ダイナミックなので、
人の印象に焼き付きやすく、
これが代表のように
なっているが、
これは決して縄文文化の
土器の代表のわけでは
ないのだ
これは8000年ぐらい前の
もので、土器の中では
世界最古なのだ
同じように、西アジアの
方にも土器の文化がある
のだが、縄文土器は
すべからく煮炊きをした
跡が残っているのだ
単なる貯蔵用ではなく、
そういう意味での高度な
食生活があっただろうと
いうことが分かるのだ
今書いたことをまとめて
言うと、こういうふうに
書いているのだ
「人の集団が日本列島に
入ればここは1つの袋小路
である。長い歳月、
人の集団の往来が完全に
途絶えたときがあった
とはもちろん思えない。
しかし大陸のように
自由自在に人種や民族の
大移動が繰り返されたとも
思えないので、
どこまでも地球上の他の
地域と比較しての話だが、
日本列島は孤立した
海の上の陸地となってから
以降、ずっと細々と歴史の
連続性を保ってきたと言って
良いのではないだろうか」。
「どこまでも地球上の
他の地域と比較しての話だ」
ということを言っておくのは、
純血度高いとやられて
しまうので、すぐに攻撃
されてしまうのだ
バカみたいなものなのだ
「純血度が高い」なんて、
口が裂けても言っては
いけないのだ
何でそんなことを恥ずかし
がるのか分からないのだが、
何せ世界最高の縄文土器文明
について書いた本に左翼の
攻撃があって、
「新手に考え出された広告機関だ」
と言うのだ
「新手に考え出された広告機関だ」
なんて、
「バカなことを言う学者が
たくさんいるのだな」
と思っていたが、
そんなことを言っている
うちにどんどん縄文文化は
周知の事実となってしまって、
今は言っている方が
「頭がおかしい」と思われる
時代になってしまったのだ
もう少し今、文章を続けると、
人種は多様であり、言語も
おそらく複数であったと
思うのだ
しかし、同一の自然風土、
繰り返す四季、
four season(フォー・シーズン)
の繰り返す風物、
森林と岩清水の恵み。
森林と岩清水の文明と書いて
いてそれから教科書にも
載せているのだ。
「森林と岩清水」これも少し
うちの仲間でははやった言葉で
「森林と岩清水」ここから
すべての教科書にそう書いて
くれるかと思ったら、
ならないのだ
彼らは頭が硬いし、
スクール界の人が書いた
ものなんか許せないと
思ってしまうからダメなのだ、
この国は本当にどうしようも
ないのだ
森林と岩清水はいいだろう
森林と岩清水の文明なのだ
砂漠とピラミッドの文明
ではないのだ
「森林と岩清水の文明の
恵みは今日に必ず1万年をも
超える平和な歳月を経て、
ある種の共通の文化を
形作ってきたと思われる
のである。
人々の暮らしの知恵、祭祀のあり方」
祭祀とはお祭りで
「建物の技術、社会構成、
埋葬の形式などに1つの型が
生じて」、そんなことは書いて
いないけれど、
こういうのは全部調べが
ついているのだ
続きは次回だ
今日はこのくらいにしといたる