どうも村田です
先進民主主義的な
政治制度が「善である」
などと主張する気はないのだ
とはいえ、ユーラシアの
東の果ての日本国が、
明治維新により瞬く間に
議会制民主主義国になった
ことについては注目する
べきだろうと思うのだ
議会制の歴史をひも解くと、
当初の議員になるのは
封建諸侯なのだ
イングランドが、まさに
そうだったのだ
日本の明治維新後の帝国議会
には、貴族院が存在したのだ
イギリスで言う「上院」と
同じであり
貴族院の議員は、例えば
島津公や毛利公など、華族と
なった旧体制下の封建諸侯で
あったのだ
無論、衆議院という議員の
身分を問わない普通の議会も
存在したのだ
(イギリスの「下院」)
封建制は、君主制と議会制
民主主義を橋渡ししたのだ
この歴史的な事実、重要な
事実を日本人は知らないのだ
だからこそ、
「江戸時代は封建制で、
非常に閉鎖的で旧態依然
とした国家だった」
という偏見を持ち続ける
ことになるのだ
結果的に「古いからダメだ」
といった、幼稚な発想が
はびこるわけなのだ
古かろうが新しかろうが、
良いものは良く、ダメなものは
ダメだと思うのだが、
この種の実践的な思考が
できなくなり、ただ単に、
「古いからダメ」
と主張するナイーブな
政治家が支持を受けてしまうのだ
江戸時代は「古臭い」
「旧態依然」であるのに対し、
明治維新は開国し、江戸幕府を
打倒し、きらびやかな明るい
社会が始まった、といった
イメージ、認識を持つ日本人が
実に多いのだ
とんでもないのだ。
江戸時代の各藩における
資本蓄積がなければ、明治
以降の日本の経済成長は
あり得なかったのだ
そもそも、日本人は
「開国」という言葉自体を
誤解しているのだ
日本が開国したのはいつだろうか
1853年、アメリカの
ペリー提督が黒船を率いて来航し、
日米和親条約が締結された時点
と理解している日本人が
ほとんどだと思うのだ
史実は異なるのだ
日本が開国した、つまりは
グローバリズムと初めて
接触したのは、
1543年9月23日、ポルトガル人の
種子島漂着時点であるのだ
グローバリズムとは何なのか
簡単に書くと「モノ、ヒト、カネ」
の国境を越えた移動を自由化
すること
あるいは、自由化することが
善であるというドグマなのだ
ドグマ。日本語で言えば教義
だが、レコンキスタ
(イベリア半島の再征服)を
成功させたキリスト教勢力、
つまりはスペインとポルトガルが、
「地球(グローブ)」を
一つの市場と見立て、
カネ儲けのために世界中に軍船を
派遣したのが始まりなのだ
当初はスペインとポルトガル、
後にはオランダとイギリスが
主導したグローバリズムに
我が国が組み込まれた
1543年こそが、日本国の
「開国の日」なのだ
ちなみに、ポルトガル人の
種子島漂着が
1543年というのは、
日本側の記録に残されているのだ
ところが、1563年に
書かれたアントニオ・ガルバオの
『新旧世界発見記』によると、
1542年となっているのだ
当時、シャム王国(タイ)の
ドドラに停泊していた、
ディエゴ・デフレイタルが
船長を務める船から、三人の
ポルトガル人が脱走
彼らはジャンク船で中国に
向かったが、嵐に巻き込まれ、
種子島に漂着したのだ
その国の名は「日本」であり、
まさに物語
(マルコ・ポーロの『東方見聞録』
と思われる)
で語られている富貴の島、
ジパングそのもので、金銀と
豪華なものであふれていた、
という記録が残されているのだ
1542年なのか、
1543年なのかは
確定していないが、
とにもかくにもこの時期に
日本は「開国」し、
グローバリズムにビルトイン
(組み込み)
されてしまったのだ
続きは次回だ
今日はこのくらいにしといたる