どうも村田です

特攻隊員の遺書を
読むにあたっての
方向付けが
「これでもか」
というほどしつこく
行われているのだ。
その前に、本書を執筆
するきっかけとなった
出来事が記されている
のだ。
「しばらく忘れられて
いた神風特攻隊の搭乗員
たちは、
およそ10年前に再び脚光
を浴びるようになった。
それは、
日本政府が2014年に、
彼らの手紙333通を
ユネスコ世界遺産に
登録申請したことと時を
同じくしてである。
しかしこの申請は、
中国と韓国によって強く
拒否され、
日本政府が申請を保留
するに至った。それは、
これらの手紙が
搭乗員たちの最期の瞬間
を美化しており、戦争の
正当化につながるおそれが
あるとの理由による。
この件は、日本と
東アジア諸国との間に残る
歴史問題――
すなわち、
「大東亜共栄圏」
という構想のもとに日本が
それらの国々に対して
過酷な支配を行いながら、
十分な謝罪と賠償を果たして
いないという問題―
の新たな一暮である。
歴史問題に「東アジア諸国」
を含めていること、
「十分な謝罪と賠償を
果たしていない」と
いう当たりに、筆者の
認識不足が垣間見えるのだ。
それはともかく、
日本政府が2014年に、
特攻隊員の手紙を
ユネスコ世界遺産に登録申請
したとは頼もしい、と思って
調べてみたら残念ながら
間違いなのだ。
日本政府ではなく、
鹿児島県南九州市が主体と
なって、
「知覧特攻平和会館」
が所蔵する資料を申請した
ものだったのだ。
この後から、ケスレー氏
による本格的な刷り込みが
始まるのだ。
「これらの手紙の内容を
精査し、ある意味では行間
を読むことが求められている。
それを行うためには、
日本の古い歴史、武士道
や神道の伝統、そして
19世紀後半以降の国際的
強国としての日本の台頭
という、
より近代的な歴史の光の
もとに読み解くことが必要
である。
本書では、こうした手紙や
遺書の中から100通を超える
文書に言及している。
これらは、自らの命を
祖国のために捧げよう
とする若者たちが遺した
最期のメッセージであり、
その理解を助けるために、
当時の時代背景や、
日本文化に繰り返し現われる
象徴的な言葉への
言及の意味を把握する
ための情報も併せて提供
する。」
こう言われているが、
客観的な背景の説明ではなく、
「無意味な死」
を要求された若者たちの
苦悩を焦点化するために、
「検閲」「プロパガンダ」
「利用」という言葉が
露骨に繰り返されてく
のだ。見ていくのだ。
「神風特攻の行為は、
日本における自発的な
死の歴史と無関係ではない」
「はかなき桜の花が散る姿は、
死の光景を象徴するものとして、
この死を飾り立てた。
こうした武士の理想は、
江戸時代に形成され、
明治時代に入って
国家によって再利用
されることになる。
「現人神たる天皇」
への信仰は、無限の献身
の表現としての自発的な
死を要請した。
こうして、武人的な
「ハビトゥス」
〔習慣的な性向の体系〕
が形成されていった。
たとえ新兵の出自が
かつての武士階層では
なくなっていっても、
天皇のために死ぬ、また
天皇のために自ら命を
絶つという観念は、
すでに一般的なもの
となっていた。後は、
報道とプロパガンダが
仕上げを担う。
それによって、次の
ようなイメージが作られた
―最期の出撃前に微笑む
若者たち、日章旗の鉢巻を
締め、「千人針」の帯を巻き、
最後の杯を交わし、
幸運の人形や仮の婚約者を
持って飛び立ち、家族に
感動的な手紙を遺す者たち。
こうした神風特攻に
まつわる図像のお決まりの
表現は、すべてが同時に
現れるわけではないが、
いずれも「総力戦」の
戦意を支える一連の
イメージの一部となり、
最終的には、「特攻」とは
「美しい発明」である
という観念へと収束していく。
特攻隊員たちは、まさに
この時代の申し子たちである。
この時代は、
「神風」という神話を
再構成し、それに、
勇ましい死、
風に舞う桜の花のごとく
美しい死という
イデオロギーを付け
加えられながら、
そして、ある意味では
「死は鴻毛よりも軽し」
といった
皇国的観念を取り上げ
なおしていたのだ。」
続きは次回だ
今日はこのくらいにしといたる

