どうも村田です
中野学校では、大別すれば、
主に講義による学科と実技による
術科の二つがあり、
その内容は多岐に渡ったのだ。
ここでは、中野学校ならではの
特殊な講義についていくつか
紹介するのだ。
まずは、本物の忍者である
甲賀流忍術一四世名人の
藤田西湖【せいこ】
が教師に招かれたのだ。
藤田は、忍者の覚悟について
「忍者にとって死は卑怯な行為
であり、生きて生き抜いて任務を
果たすのが務めである」
と教えたのだ。
藤田は、中野学校で忍術を教えた
だけでなく、実際に諜報活動にも
従事した人物でもあるのだ。
また、服役中の掏摸【スリ】の名人を
刑務所から招いて出張演技を披露
してもらったのだ。
諜報・謀略において、相手の手荷物
から重要な書類を盗み出したり、
財布の中にある紙を抜き取ったりする
行為が必要だったからなのだ。
名人の神業に学生たちは驚嘆した
というのだ。
金庫を解錠する授業もあったのだ。
錠前を針金やクギの先端を折り曲げて
鍵を開けるのだ。
ちなみに、陸上自衛隊小平学校の
前身である調査学校でも同じように
開錠術の授業があると聞いたことが
あるのだ。
あくまでも噂レベルではあるが、
最後の試験はどんな鍵でも針金一本
で決められた時間内に開けられるか
だそうなのだ。
偽装・仮装の講義もあり、絶世の美女
である女形役者(実際は男)から
変装方法などを教わったのだ。
郵便物(封書)の開緘【かいかん】
の授業では、薄い刃物で手紙の糊の
部分をきれいに剥がし、中身を見られた
ことを悟られずに元通りに戻す方法を
習ったのだ。
新宿区牛込にあっ た秘密通信検閲機関
「兵務局分室(ヤマ機関)」所属の
竹内長蔵准尉が実演・指導したのだ。
竹内准尉は開緘の名人で、薄い刃物の
感覚だけで紙と糊の違いが区別ができた
そうなのだ。
敵の軍用犬による追跡をかわす
方法も教えたのだ。
軍用犬に追われた場合、瓶詰めにした
雌犬のフェロモンをばら撒いたり、
川を横断することで匂いを消すなどの
技法があることを教えたのだ。
陸軍中野学校の卒業生の多くが
補任された特務機関について述べるのだ。
中野学校が設立される前までは、
諜報・工作の資質・スキルがない
軍人を特務機関に就かせていた
わけだが、
中野学校設立後は専門の教育を
受けた要員が充てられることになるのだ。
おのずから、特務機関の能力は向上
するのだ。
特務機関とは何か。
特務機関は、第五列とほとんど同じ
役割を持つ組織だと考えるのだ。
軍隊が整列するとき、四列に並ぶ
のが基本なのだ。
ところが、軍隊の中には敵から
寝返っ てくる人たちが存在し、
彼らは五列目に並ぶのだ。
それにちなんで、諜報・工作の
組織を隠語として「第五列」
と呼んだのだ。
すなわち、特務機関とは正規の日本軍
(=第一〜四列)と協働して特殊な任務を
担う組織(第五列)であり、
占領地域や敵地で謀略、諜報、宣撫工作、
対反乱作戦、秘密作戦な どの任務を
行った秘密組織のことであるのだ。
日露戦争中の明石元二郎大佐による
「明石機関」 の活躍を契機として、
シベリア出兵以降、陸軍では正規軍では
できない特殊任務にあたる実働グループ
を「特務機関」と呼ぶようになったのだ。
その嚆矢は、1917年のシベリア出兵時
のハルビン特務機関の創設だったのだ。
ハルビン特務機関は、
関東都督府陸軍部附として
黒沢準少将が、
イルクーツク、ウラジオストク、
アレクセーエフカ、満州里、チチハル等
に駐在していた情報将校グループらを
統轄し特別・特殊任務を遂行したのが
始まりとされるのだ。
なお、同機関は一時、
シベリア出兵実施のため
一九一八年八月に編成された
浦塩派遣軍(七万余の兵力)
の隷下に移ったが、
のち再び関東軍司令部隷下に復帰し、
一九四〇年には関東軍情報部に
改編されたのだ。
機関長は情報部長となり、その他の
在満機関を支部に改編し統轄したのだ。
特務機関とは、表には出ない特別な
ミッションを実行する機関であり、
諜報機関そのものであるのだ。
CIAやモサドのミニ版と言っても
いいのだ。
最も小さなものだと、たった 一人の
特務機関もあったのだ。
海軍にも特務機関はあったが、
ほとんどが陸軍主体であったのだ。
大東亜戦争開戦以降は、
マレー、インド、ビルマ、フィリピン、
インドネシア、ベトナムなど、
南方作戦のためにいくつもの特務機関が
創設されたのだ。
特務機関の実態は、麻薬の売買、
偽札の製造・流通、テロなどの
犯罪行為 を常習的に行う組織だったのだ。
またその指導者の中には、人殺し、
詐欺師など罪を犯した人 たちもいたのだ。
陸軍中野学校で「謀略は誠なり」
という精神を矜持とした諜報要員たちは、
派遣された現場で戸惑い、悩んだことだろう。
日本の主な特務機関について個別に
紹介するが、特務機関の名称には
花の名前がよく使われたのだ。
続きは次回だ
今日はこのくらいにしといたる