Share

  • Add this entry to Hatena Bookmark

やってくるんじゃ

どうも村田です

日清戦争とか

日露戦争とかが

あった時に、

明治天皇は本当に

兵士のことを考えて

広島に陣を張って、

そこでずっと兵士が

戦っている時に目を

覚まして祈っていた

という話も伝わって

いますが、そういう

伝説、

そういううわさ話は

当時の人はみんな聞く

わけなのだ。

「明治天皇がここまで

頑張ってらっしゃる

のだったら、私たちも

頑張ろう」

と、それは機関で

あろうが主権であろうが

関係ないのだ。

そのどちらもあるの

だろうけれど、顕教と

密教を分裂させない

だけの

説得力を明治天皇は

持っていらっしゃる、

その感覚なのだ。

もう1つは、大正天皇

で大正天皇は確かに

密教と顕教の矛盾が

あるのだが、

大正天皇はご存知の通り、

前に出ないのだ。

大正天皇の肖像は、

多分そうだと思うが、

見たことはあまりない

はずなのだ。

ということは、表に

出ないので何をされて

いる方かがよく分から

ないのだ。

よく分からないので

そんなに問わないと

同時に重要なのは、

当時第一次世界大戦が

あるから、そこで日本は

ボロもうけしているわけ

なのだ。

つまり、戦争で

ヨーロッパが何も

輸出できなくなった

時に

日本は輸出するわけ

だから、戦争景気で

ウハウハなのだ。

ものすごい好景気の

中で大正デモクラシー

まで行くのだ。

だから、非常に

危機的な状況に

ならないので、

矛盾が出ないのだ。

つまり、身を隠す

ことによって、その

矛盾を回避していく

というのが大正期

だったのだ。

ではどうなるか

というと、ここから

なのだ。昭和期なのだ。

だから昭和の問題は

この矛盾なのだ。

危機的な状況が来る

わけなのだ。

しかも、危機的な状況で、

後で申しあげるが、

昭和天皇はどうだったか

というと、

圧倒的な立憲君主の

教育をされているのだ。

最初からされている

わけなのだ。

そうすると密教に

傾くのだ。

密教とは何かというと、

天皇機関説なのだ。

エリートの教えなのだ。

昭和天皇がエリートの

教えに傾くことで、いざ

人々が危機的な状況に

陥った時に、

人々が持つその宗教心が

乾いてしまうのだ。

「宗教がなかったら

私たちはやっていけない。

どこに中心があるのだ」

と問うているわけなのだ。

その問うている時に、

昭和天皇自身は

立憲君主制だと思って

いるから応えてくれない

のだ。

答えてくれないと

どうなるか。求めるのだ。

求めることがまさに逆に

顕教、つまり一君万民の

欲望をかき立てることに

なるのだ。

どこに天皇がいるのか、

どこに救い主がいるのか、

どこに中心があるのかを

問わなければやって

いけないという状況が

いよいよ昭和になって

やって来たのだ。

ここでまさに二重性の

分裂が明らかになるのだ。

私たちがなぜ宗教性を

求めてしまうかという

ことを軽く少し説明すると

前近代社会から近代社会

に行くことによって、

私たちは餓える

という話を少しご理解

いただきたいと思うのだ。

前近代社会とはいつも

言うが、私があって、

家族がいて、氏族があって、

地域共同体がある、

地縁がある、つまり

同心円状に全部拡大

するのだ。

お分かりだと思うが、

私は動くのかというと、

動かないではないか。

例えば島根に生まれたら

ずっと島根だし、江戸に

生まれたらずっと江戸だし、

全然変わらないのだ。

元服式が早いのだ。

13歳とか15歳で普通は

元服するのだ。

なぜかというと、私を

囲んでいるのは家族の常識、

家族の常識は氏族の常識で、

氏族の常識は支援共同体

の常識なのだ。

ということは大体分かる

と思うのだけれど、

家族の常識を覚えること

がそのままにして

社会の常識を覚える

ことになるのだ。

だとしたら、家族の常識

は13とか15で大体身に

付くではないか。

その年齢で身につけた

程度の社会の常識で

彼らはやっていけたのだ。

それぐらい地域共同体

が安定していて、

身分的で同心円的社会で、

儒教の言葉でいうと

「修身斉家 治国平天下

(ちこくへいてんか)」

というのが分かりやすいのだ。

続きは次回だ

今日はこのくらいにしといたる

Share

  • Add this entry to Hatena Bookmark

Follow Me