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いたずら好きなんじゃ

どうも村田です

『嵐を呼ぶ男』

という映画があったけれど、

まさに嵐を呼ぶ赤ん坊、

この子にお父さまは名を

付けらたのだ。

この名前の字画数は、

45になり

この字画数とは、

われわれはスピリチュアル

のことは、科学万能の時代

にはうんぬんと言う人がいる

が、

これは恐ろしい魔力を

持った力なのだ。

それで、この姓名判断を

簡単に要約して申すと、

「順風」と「大吉」なのだ。

これはGoogleで検索したら

すぐに出てくるのだ。

さらにそれを敷衍(ふえん)

して申せば、こういうこと

になっているのだ。

「この画数を持つ人は、

頭の回転が速く、決断力が

あり、積極的に行動します。

表面は穏やかで優しいの

ですが、内面はしっかりと

根を張ったような強い精神力

と実行力、

そして豊かで温かい人間性

を備えています。少々地味な

道を歩いていくことになり

ますが、

その堅実さ故に人望を

集めることもでき、

人間関係などでも大きな

問題を抱えることなく

過ごすことができます。

謙虚さや、真面目さを

逸脱することがなければ、

その道は約束されたものに

なるでしょう。

人生が全般的に順風満帆に

なる傾向があります。

人生で波風、嵐に遭遇しても、

誠実な人柄とそれを乗り越える

だけの強い意志力を持ち、

またその時に風向きが

バックアップしてくれる。

必ずその波風を克服する

ことができ、一路目的地に

到達できます。意志が固く、

地道な努力と忍耐を重ねる

こともでき、大事なところで

適切な判断をすることが

できます。

それが結果として、年と

ともにその分野での実力者

となり、大きな成功や安定に

つながることになります。

特に人生の後半には、

大きな問題もなく、安定と

平安、平和を享受し、

幸せな生涯を送ることが

できるでしょう」。

Googleで検索すると

45画、すぐに出てくるのだ。

それから、1時何分に

生まれたと言ったが、

そういう画数とかも全部

人生に結路していると

思うのだ。

先生の自叙伝を拝見して、

先生の人生への軌跡という

ものは実に見事に姓名判断の

通りになっているのでは

ないかと思っているのだ。

先生がこれまでどのような

ことをなされたかということ

は、

現役の自衛隊の時に、

お付き合いは2年も

なかったのだが、

その一端については

いろいろな質問という

形で先生に質問をし、

この次で先生が三島先生

とのご縁というものを

いろいろ語られる中で

明らかにされていく

のではないかと思うのだ

大きなひとくくりの

テーマである

「三島由紀夫先生との出会い」

だが、これについては

三島先生が楯の会会員と

ともに、この近くにある

滝ヶ原駐屯地にある

富士教導団と教導連隊が

あるのだが、そこに入隊

された時に、

三島先生の身の回りの

世話や事務処理などを

担当する副官として

抜てきされ、これに

始まるご縁だそうなのだ。

先生は自衛隊に入隊して、

まだ3~4年、20歳と少し

ぐらい、

当時、世界的な妙工を持ち

ノーベル賞候補になるような

三島先生に対して、階級から

言えば異例の抜てきなのだ。

三島先生は、いたずらが

大好きで普通のことでは

飽き足らないのだ。

だから、嵐の時に訓練見学

に行ったり、最終的に

自分の人生を閉じる時にも、

普通のことでは飽き足らない

ような締めくくりをされた

のではないかと思うのだ。

その2つを先生が

おっしゃったのだ。

「いたずら好き」

と本にも書いているのだ。

「普通のことでは飽き足らない」、

それが先生とぴったりと

かみ合う基(もとい)だった

のではないかと思うのだ。

このつまびらかな内容に

ついては、先生ご自身に

語っていただきたいと

思うのだ。

いずれにせよ三島先生と

先生の相性は抜群だった

のではないかと思うのだ。

それは先生の本にも

書かれているけれど、

実は抜群の相性というのは

前世からの話なのだ。

実は前世で先生が京都の

極楽寺という所で修行僧を

されていたそうなのだ。

その時に、何と三島先生は

同じく極楽寺でお坊さん、

僧侶をされていたそうなのだ。

そのご縁というのは、

ドイツに世界的な女性の

ヒーラーがおり、

この方はリロ・ミウラー

という素晴らしい、

いわば先生の指導をされた

方だと伺っているのだ。

その方が

「先生、ここがそうなの

ですよ。あなたたちは

そういうご縁ですよ」

と教えてくれたそうなのだ。

ある時に先生が極楽寺を訪ねて、

お墓の回りをずっと歩いていたら、

「平岡」という、

こけむして倒れかけたような

古い墓石があったそうなのだ。

そこでピタッと止まったのだ。

この「平岡」という名前が

坊さんのお名前で、その後の

平岡公威先生だったという、

そういう前世からのご縁で、

自衛隊で異例の抜てきだとか、

三島先生を笑わせたとか、

意外意外のそういう展開や、

いたずら大好き先生と

ぴったりの相性というのは、

実は前世からの因縁だ

ということなのだ。

続きは次回だ

今日はこのくらいにしといたる

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