どうも村田です

射られて引き抜いたと、
中には入ってないから、
その矢じりで壊された
わけではもちろんない
のだ。
左手には盾を持ち、
右手には石戈(せっか)
石の戈(か)を持っている
ということなのだ。
当時の人たちは入れ墨を
しているから、これは
岡山で見つかった遺跡
なので、
岡山地方の入れ墨と
考えられるものをして
いるのだ。
それから格差の始まり、
経済格差だが農耕社会の
成立と入植者の出現と
いうことで、
副葬品を持つ連中が現れる
ということは、やはり
お偉いさんが登場している
ということなのだ。
それから、これは板付遺跡で
見つかった例なのだが、
子どものお墓が実は2か所で
見つかっているのだが、
村の中心に近い方で
見つかった子どものお墓、
この子どもは玉という
副葬品を持っていたのだが、
離れたところで見つかった
子どものお墓からは玉は
出てこなかったのだ。
だから、格差というのも
すでに親から子へと
引き継がれていると、
偉いさんの子どもは偉いさん、
副葬品を持っていると、
親の格差は、子の格差へ
継がれるということなのだ。
だから、これは今から
2,500年ぐらい前の話で、
2,500年前にはすでに
格差社会に入っていた
ということが分かるわけ
なのだ。
それから、感染症、結核の
出現ということで、縄文人
には今のところ見つかって
ないのだ。
結核は、これは高い人口
密度の地域で生まれる
病気なので、
中世なんかがよく見つかる
わけなのだ。
これは脊椎カリエスと
言われている病変で、
脊椎に結核菌が感染して
起こる、
空気感染するから、
人口密度が高いと結核
感染率が高くなると
いうことで、
やはり弥生時代になると、
結核が感染するぐらいの
人口密度の村が現れた
ということなのだ。
人口増加率も高いのだ。
結核菌というのは
もともと古墳時代に日本に
もたらされたと考えられて
いたのだが、
青谷例で約400年
さかのぼったのだ。
もともと4万年前に
アフリカの奥地で誕生した
と言われている
ホモサピエンスとともに
東の方へ伝わったのだろう。
日本、アジアで、5,000年前
に上海で見つかった遺跡で
脊椎カリエスが見られる
ということなのだ。
結核菌の中にも北京株
というのがあるらしく、
北京株に侵された人
によって
日本列島にもたらされた
のではないかということで、
大体200人から400人の
人口の村で
空気感染するということ
らしいので、それぐらいの
人口があったのではないか
ということなのだ。
古墳時代ももちろん
たくさん見つかっているのだ。
上海の遺跡で見つかった
脊椎カリエスだが、右側が
正常な脊椎のイラストで
左側が大体真ん中の辺りで、
結核菌によって大きく
折れ曲がっていることが
分かると思うのだ。
だから、人骨の中で大体1人
結核菌の患者が見つかったら、
大体当時1人見つかっただけで、
大体100人から300人の
結核患者がいたのではないか
というふうに考えられている
ようなのだ。
だから、青谷上寺地遺跡も
200人から400人ぐらいが
集住していたのではないか
と考えられているのだ。
以上が現在考えられている
弥生時代の特徴なのだ
まとめると、北海道や沖縄を
除く九州、四国、本州では
水田稲作を受け入れたことに
よって、
約900年で前漢を盟主とする
国際社会に東アジアの
国際社会に登場し
印鑑と文字による外交が
始まるわけなのだ。
楽浪郡という朝鮮半島に
置かれていた役所で
900年稲作の始まりから
900年で国際社会へ
登場したということなのだ。
それから稲作が始まって
約1,200年で巨大な
前方後円墳を築造
するようになるのだ
約1,700年で古代国家が
成立する、つまり
7世紀の飛鳥王朝になる
ということなのだ。
このような右肩上がりの
成長をした反面、戦いや経
済格差、人口増加、感染症
という現代社会にも
つながる負の遺産を
受け入れてしまった
ということなのだ。
そういう負の遺産もある、
これが現在の弥生時代の
考え方なのだ。
だから水田稲作をやって、
それで現代社会へつながる
ような社会が
大きく発展したという
プラスの面もあれば、
マイナス面もある、
二方向で考えないと
いけないというのが、
弥生時代についての
現在の考え方という
ことになるのだ。
続きは次回だ
今日はこのくらいにしといたる

