どうも村田です

今回取り上げる書籍は、
山中峯太郎著、
復刻版現代語訳
『日本的人間』
なのだ。
底本となっているのは、
昭和17(1942)年に
錦城出版社
(錦城とは大阪城の別名)
より刊行された同名書籍
であり、
この書籍はGHQ によって
焚書処分とされたものなのだ。
著者は山中峯太郎であり、
陸軍軍人、小説家、翻訳家
として知られる人なのだ。
明治18(1886)年、
大阪府に生まれ
彼は極めて優秀な人物であり、
各学校を常に首席で卒業
するというエリート中の
エリートなのだ。
そのまま陸軍大学校に進学し、
軍人として将来を嘱望されて
いたが、最終的には依願免官
となっているのだ。
その理由は、彼が中国革命に
強い関心を抱き、中国の
人びとのために自らの力を
尽くすことを志したためなのだ
軍人としてのエリートコース
をあえて外れたこの決断は、
彼の生涯を語るうえで重要な
一点なのだ。
代表作には
『敵中横断三百里』や
『亜細亜の曙』などがあり、
昭和41(1966)年に没して
いるのだ。
さらに注目すべきは、
山中氏の著作16冊が
GHQによって焚書処分
となっている点なのだ。
これは彼の思想や作品が、
戦後の占領政策において
抹消の対象とされた
ことを示しているのだ。
その後、山中氏は東京
朝日新聞社において記者
として勤務する傍ら、
『中央公論』、『東方持論』、
『新小説』などの雑誌に
評論や小説を発表しているのだ。
やがて、淡路丸沈没
虚偽報道事件という
一連の詐欺事件において
首謀者とされ、容疑者
として逮捕されたことが
判明しているのだ。
この事件を契機に同社を退職し、
出獄後は婦人雑誌や
少年少女雑誌においても
活動の場を広げるに至ったのだ。
戦後、山中氏は公職追放の
処分を受け、新作の発表は
激減したのだ。
しかしその一方で、
『名探偵ホームズ』
全集全20巻を刊行し、これが
ベストセラーとなったのだ。
興味深いことに、彼は軍人
でありながら著名な
シャーロキアンでもあった
のだ。
正直なところ、この書を
読んで初めて山中峯太郎
という人物の存在を知ったのだ。
それを契機として評伝を
読んだり、各方面で彼に
関する資料を調べるように
なったが、
実にユニークな人物である
ことがよく理解できたのだ。
彼は中国革命に深く関与
したのみならず、東條英機の
幼なじみであったとも伝え
られており、
戦前・戦中・戦後を通じて
活躍した人物として特異な
存在であると言えるのだ。
強い信念と確固たる芯を
持ちながら、広い視野で
物事を捉えることのできた
真の愛国者であったと
確信しているのだ。
彼は中国と日本の双方に
わたって活動したという
点において極めてユニーク
な存在であるのだ。
実際、峯太郎の話を読んで
いると、彼には
ロマンチックな側面もあった
のではないかと思うのだ。
彼はラース・ビハーリー
・ボースとも関係があった
ようなのだ。
また新宿中村屋の相馬家
(相馬愛蔵)、そのほかの
革命家たちとも交流があった
ようなのだ。
そうした点において、
彼にはロマンチックな
要素があり、
それに惹かれる部分もあった
と正直に感じているのだ。
この本を読み始めた際、なぜ
この本が没収されたのか
最初は謎に思えたのだ。
内容は論語のようなもので、
親孝行を促し、正直であり
嘘をつかないことなど、
人生の基本的なアドバイス
が記されているのだ。
こうした本が焚書として
登録されたこと自体が
不思議に感じられたのだ。
しかし、さらに考えてみると、
アメリカやワシントンが
戦争を推進するなかで、
日本的人間をこの世から
絶滅させるために
『日本的人間』
という本を没収したことは
決して不思議なことではない
と感じ、
最終的に、そのような
結論に至ったのだ。
本書においては、神道的な
時間感覚が色濃く感じられる
のだ。
すなわち、歴史上の人物と
現代の人間とが同じ時間を
共有し、
ともに存在しているかの
ような描写が随所に見受け
られるのだ。
歴史的人物が現代人の模範
となるという視点が強調
されており、
歴史を単なる過去として
ではなく、「今」と
地続きのものとして捉える
独特の感性に基づいて
記述された書物なのだ。
『日本的人間』
とは何か、という問いに対し、
本書は明確な思想的探究を
おこなっているのだ。
とりわけ、自国の人間像を
定義しなければならない
という圧迫感、
緊張感が著者の筆致から
伝たわってくるのだ。
それは、欧米諸国と戦争を
交えながら、自らの民族的
・文化的アイデンティティを
模索していたという、
極めて稀有な歴史的状況下で
著された作品であるのだ。
ゆえに本書は、当時の
精神の遺産として、今日に
おいても一読の価値ある
書と位置づけられるのだ。
続きは次回だ
今日はこのくらいにしといたる

