どうも村田です
渋沢のこの道徳と経済の
一致という指導理念は、
実は渋沢栄一が最初に
考えたものではないのだ
実はこれこそ日本の伝統的な
経済経営の心だったのだ。
この心が特に立派だった
時代が江戸時代なのだ。
江戸は2百数十年間、非常に
平和な時代が続いたのだ。
今、江戸時代が大きく
見直されているのだ。
世界のよその国の歴史と比べて、
江戸時代の日本は実にいろいろな
意味で優れていて、
例えば 識字率1つとっても日本は
すごいのだ
日本は文字を読めない人は少ない
というか、あまりいないのだ。
士農工商とあるが、農工商も
ほとんど文字が読めたのだ。
読めない人がむしろ例外なのだ。
ところが江戸時代、例えば
アメリカ、ヨーロッパで文字の
読める人は社会の半分いるかと
言ったら半分以下なのだ。
ロシアなんかは1割いないのだ。
あらゆる意味で日本の江戸時代は
優れていたという研究が今非常に
盛んになっているのだ。
そして江戸時代のそういう商人
たちの経営も実に立派なのだ。
三方良しという言葉があるが
商人の一番有名な国は近江だが、
近江商人の経営の仕方は三方良し、
売り手良し、買い手良し、世間良し、
こういうわけなのだ。
これが日本の商人の経営のあり方
なのだ
アメリカ流の経営は売り手良し、
買い手と世間は全然良くない
ということなのだ。
さらに、江戸時代には優れた改革者、
藩政再建者、あるいは農業の再建者
に優れた人物が出たが、その中で
最も優れた人が3人いるのだ。
1人が上杉鷹山。
上杉鷹山は東北の米沢藩を再建した
名君なのだ。
もう1人が関東近辺の農村約600を
再建した二宮金次郎、二宮尊徳
なのだ
今、この2人は再評価もいいところ
なのだ。
次から次へといろいろな本が
出ているのだ。
もう1人
山田方谷、これはあまり知られて
いないが、今の岡山県なのだ。
備中松山5万石を再建した、要するに
今で言うと財務大臣なのだ。
藩政再建担当大臣なのだ。
8年間で大赤字の財政を再建して
藩政を立て直したという経営の神様、
再建の巨人と言われ、
岡山県では
「この人をNHKの大河ドラマの
主人公にしましょう」という
署名活動が随分前から起こっている
すごい人物なのだ。
ほかにもたくさんいるのだが
代表はこの3人なのだ。
この3人の改革、再建の基本精神が、
一言で言ったら道徳と経済の合一
なのだ。
全く渋沢栄一と同じ、すなわち
渋沢栄一の先輩なのだ。
先駆者、先覚者なのだ。
渋沢栄一はもちろんこういう人たちの
ことをよく知ってるのだ。
お手本になっているのだ。
だから日本はこういう伝統はやはり
何百年と続いてきているのだ。
それがアメリカとの違いなのだ。
アメリカは悲しいかな、まだ250年
経ってないのだ。
あまりにも歴史、伝統が浅すぎ
立派な経済経営の伝統がまだない
のだ。
もしできるとしたらこれから
なのだ
日本は何と言ったって江戸時代の最初、
江戸時代はもう今から400年以上前。
少なくとも400年来の伝統がずっと
日本では続いているのだ。
だから明治には渋沢栄一のような
人が出るのだ。
渋沢栄一が亡くなっても、渋沢栄一の
感化、影響は決して0にならないのだ。
だから、1万円札に登場する、
NHKの大河劇にも登場する、
渋沢の著作は、今売れまくっている、
伝記類もどんどん出ている、
再評価されていることを
日本の救いであろうと思うのだ。
さて、もう1つ、渋沢栄一について
どうしても紹介したい話があるのだ。
それは、明治人としての渋沢栄一の
面目を示す1つの逸話なのだ。
それは日露戦争における尽力なのだ。
実は渋沢栄一は財界人として日露戦争
において大変な尽力をしたのだ。
どういう尽力かと言うと、
戦争ほどお金のかかる事業、仕事は
ないのだ。
当時のお金で約20億使ったのだ。
当時の国家予算は、日露戦争の
前の年は3億円なのだ。
いかに金がかかったか分かるのだ。
ロシアを相手の一大国事なのだ。
もし日露戦争に負けたら日本は
植民地なのだ。あるいは亡国なのだ。
生きるか死ぬかの戦い、その大戦争、
お金がかかるのだ。
この金をどうやって捻出するか
なのだ。
一応税金も少し上げた
税金を上げたぐらいではもう
どうにもならない。
そこで国債発行なのだ。
国債を約14億発行しこの国債を
買ってもらわなければいけないのだが、
半分は外国、 外国の金持ちなのだ。
買ってもらうのは大変だったのだ
残り半分は日本のお金持ちに
買ってもらわなければならないのだ。
そこで日露戦争が始まる直前
参謀次長に就任した児玉源太郎
日露戦争の名将の1人なのだ。
日露戦争の陸軍の作戦を立てた人、
満州に行ってからは大山巌総司令官
のもとで総参謀長を務めた名将なのだ。
この人が参謀次長に就任してすぐ、
どうしたか、何をしたかというと、
東京兜町にある渋沢栄一の事務所に
行き、渋沢栄一にお願いしたのだ。
「かくかくしかじか、日露戦争が始まる。
どうしても避けられない。そのためには
軍費、お金が かかる国債を発行する
ことになった。どうか渋沢閣下」、
財界の最高指導者だから、
「国債の購入にご協力よろしくお願いします」
という訴えをしたのだ
その記録が残っているのだ。
涙を奮って渋沢栄一に訴えたのだ
続きは次回だ
今日はこのくらいにしといたる