Share

  • Add this entry to Hatena Bookmark

宣戦の詔書なんじゃ

どうも村田です

野村は昭和16年の

2月半ばにワシントンに

到着して、

現地での日米交渉に

尽力し始めるわけなのだ。

ところが、実は野村

という人は外交官

としての才能には

欠ける点が多かったのだ。

その英語の力も、

松岡のような雄弁には

到底及ばない欠陥の

多いものだったらしいのだ

そこで、アメリカの

国務省の国務長官であった

コーデル・ハルから見ると、

実に御しやすい相手だった

らしいのだ。

その他、太平洋を隔てて

の距離に由来する手違い、

今ならそんなことはないけれど、

当時はとにかく電信・

電報がせいぜいだから、

いろいろな手違いが生じて

松岡は結局

「日米交渉は打ち切りに

した方がいいのではないか」

ということを口にし始める

わけなのだ。

日米交渉の成立に望みを

かけて苦心していた近衛に

とっては、これが1つの

衝撃なのだ。

そして、大日本帝国憲法の

規定によれば、総理大臣は

気に入らない閣僚を罷免する

という公的権限を持っていない

のだから、

「辞任してくれ」

と説得することができる

わけではないのだ。

相手が拒否すれば

それまでなのだ。

そこで、こういう手段を

とって近衛は松岡を切るのだ。

つまり、昭和16年7月16日

に近衛は内閣総辞職をする

のだ。

総辞職となれば、もちろん

外務大臣も辞職せざるを

得ないのだ。

こういう形で松岡を国政の

場から遠ざけることに成功

するわけなのだ。

そして、直ちに第3次

近衛内閣を組織する

という勅命を仰ぎ、

外務大臣には豊田貞次郎

という人を据えて、

日米交渉の成立になお

望みをかけるのだ。

しかし、

「日本を挑発して戦争に

立ち上がらせる。その

うえで圧倒的な戦争の

継続力に言わせて日本を

たたきつぶすんだ」

という大統領ルーズベルト

の腹がすでに決まっていた

のだ。

しかも、ルーズベルトは

「この際日本を再起不能な

までにたたきつぶすんだ」

という覚悟を決めている

わけなのだ。

そこで、その日本打倒工作は、

日本に対する経済封鎖という

形で次々と具体化していく

のだ。

それは日本の南方進出

という行動に対する制裁

という形で発動された

というように映るわけなのだ。

今でもソ連とウクライナ

との戦争の際にも、

いろいろな形でロシアの

制裁ということが言われて

いるけれども、そういう

制裁行動なのだ。

それが第三国から出る

ということはよく起こる

ことなのだ。

そこで、

「あの南方進出の無理な

行動がなければ、日本は

あれほどの制裁を受ける

ことはなかったのでは

ないか」

というふうな戦後の

日本人の反省も生じる

わけだが、

実は制裁というような

ものではなくて、すべて

予定の戦略的行動だった

のだ。

つまり、武器は使用しない

形でアメリカの対日戦争、

日本に対する戦争は、

昭和16年の7月には

始まっていたと見て

よいのだ。

日米交渉自体は極秘の

扱いで行われていたけれど、

その内容もどうしても

少しずつ漏れ伝わるのだ。

そして、アメリカによる

日本の締め付けの実態が

国民の目に映るように

なっていくのだ。

そこで日本にも

「アメリカの今の

日本に対する圧迫は

ひどいらしいぞ」

という、

高官のうわさと言うと

おかしいけれど

議論は随分あったのだ。

昭和16年の12月8日付で

昭和天皇が下された

「米国及び英国に

対する宣戦の詔書」

という詔勅があるのだ。

その中に次のような

文言があるから、これが

非常に参考になるのだ。

「米英両国は与国を誘い」、

与国というのは志を

同じくする国なのだ。

「帝国の周辺において

武備を増強して我に挑戦し、

更に帝国の平和的通商に

有らゆる妨害を与え、

遂に経済断交を敢えてし、

帝国の生存に重大なる

脅威を加う。

朕(ちん)は政府をして

事態を平和の裏に回復

しめんとし、隠忍久しきに

弥りたるも

彼は毫も交讓の精神なく

更に徒に時局の解決を

遷延せしめて」、

引き延ばしたということ

なのだ。

「此の間却って益々

経済上軍事上の脅威を

増大し、以て我を屈従

せしめんとす。斯の如く

にして推移せんか」、

こうして進行していけば

ということなのだ。

「東亜安定に関する

帝国積年の努力は悉く

水泡に帰し」、

水の泡となり、

「帝国の存立亦正に

危殆に瀕せり」、

危殆というのは危なく

なるということなのだ。

国の存立自体が危なく

なるということなのだ。

「事既に此に至る帝国は、

今や自存自衛の為蹶然

(けつぜん)起すて

一切の障礙(しょうがい)

を破砕するの外なきなり」、

これが宣戦の詔書なのだ。

続きは次回だ

今日はこのくらいにしといたる

Share

  • Add this entry to Hatena Bookmark

Follow Me