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感じとったんじゃ

どうも村田です

「何かお返しをしたい」

という気持ちがあった

のだ。

それだけあの人は心優しい人

なので、一生懸命時間外の

時間をつぶして、助教官の

言いなりに書いていたのだ。

こういうことをどんどん書いて

いくということは、要するに

あの自決の場面にもっていく

ために、

自分の心をいかに鼓舞しなければ

いけないかと、ずっとそれを維持

しなければならないのだ。

「不屈の精神が必要だ。絶対に

曲げちゃいかん。一度考えた

ことはやり通すのだ。

強くて曲がらない、そういう心を

持っていなきゃいけない。また

さらに、強い、強い、勇気のある

意志を持っていなければいかん。

一度考えたら、物事を最後まで

やりとおすという精神が必要だ」

ということは、先生が皆さんに

書いている色紙をよく見てみると、

実は自分の本番のために、精神的に

自分を鼓舞することを書いている

のだと私は思ったのだ。

これは先生がそこまで考えて

やっていたのかはよく分からないが、

先生のことは絶対にそうなのだ。

それを私が気付いたのだ。

これは見事だなと私は思ったのだ。

三島先生は、本当にすごく優しい人で、

気が利くし、気が付くし、思いやりが

あるし、絶対に上から見下ろすような

目線は一切ないのだ。

だから、三島先生と会って、

三島先生も結構人を見るのだ。

瞬間的に見るのだ。

そうすると、自分がいいと思った

人には徹底して優しいのだ。

ところが、

「こいつ」

と思ったら、ぼろくそなのだ。

それははっきりしているのだ。

だから、人を見る目というのは、

あの人は瞬間的に見分けてるのだ。

神がかったところもあるのでは

ないだろうか。

以上で、私のつたないお話を

終わらせていただくのだ。

三島由紀夫先生が

「45歳健康限界説」

とおっしゃられたという

のだが、これについて解説を

お願いするのだ

三島先生が第3中隊体験入隊を

されて、そして、ある時、隣の

中隊の自習室と、3中隊の

自習室をぶち抜いて、

大体 70~80 年の自衛官が

三島先生の講演を聞く機会が

あり

もう、その時から先生は人間の

健康寿命の限界説というのを

話されていたのだ。

本にも書かれてるれど、

このようなことを話されたのだ。

「人間にはただ1つ、宿命的な

欠陥がある。それは、人間が健康

というものをあまり意識せず、

肉体を空気的な存在のように捉える

のは、 45までだということ、

45歳を超えると、肉体は老いの現象

があちこちに発生し、本物の肉体の

美しさを失ってしまう」

ということを強調されていたのだ。

文章を読んでみると、こういう

ことがあちこちに書かれてるのだ。

確かに、事実そうで

私たちもやはり若い時はまさか

「自分が肉体を纏っている」

という感覚はないのだ。

それは、やはり45歳に近くなると、

如実に感じるようになるのだ。

だから、三島先生の言うように、

肉体の美学というか、健康の限界説

は45歳だといつまでも言っていたのだ。

次に、私が講演の後に車に乗った時に、

2人きりであのジープの中というのは

非常に話しやすいというか、いい

雰囲気になるのだ。

ちょうどいい狭さと言うか、昔、

茶室などは非常にそういう意味では

便利な空間だと言われるように、

ジープの中というのはすごいのだ。

隊員が

「自衛隊を辞めたい」

と言ったら、ジープでどこかに

出かけるのだ。

それで、 2人でジープの中で話を

していくと、帰ってきた時にはもう

「辞めない」と言うのだ。

それだけ、あのジープの空間

というのは素晴らしいと私は

思うのだ。

その時に三島先生に、これの

解説をもう一度してもらったのだ。

「私は講演の翌日に三島先生と

訓練場を移動するジープの中で、

45歳健康限界説について詳しく

伺ってみたのだ。

先生は

『人間は45歳に近づくころから、

年齢を気にするようになり、45歳を

過ぎるころから老化が気になりだす。

肉体の美しさは45歳が限界です』

と話してくださったのだ」。

同じことの繰り返しだが、実際に

今度は先生の口からそれをじかに、

傍で聞いたわけなのだ。

しかし、その時に

「先生はただ健康に関することを

言っているのだな」というだけで、

まさか自決する年齢をここに設定

していたということは、全く

気が付かなかったのだ。

残念だが、その通りだったのだ。

だから、後で考えたのだが、もし

未来が分かっていれば、色紙なども

もっとたくさん書いてもらった

だろうと思うぐらいには、欲を

出していたのだ。

それだけ、やはり三島先生の

健康限界説というのを、自分も

その歳を越えるころには、

それは感じていたのだ。

つづきは次回だ

今日はこのくらいにしといたる

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