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進むんじゃ

どうも村田です

中央幼年学校、

それから予科士官学校

を卒業すると、上等兵

の階級章が付くのだ

これは初めて上等兵

という普通の階級章を

付けるのだ

横に候補生の座金を

付けるが、実際に部隊に

行って、そして兵隊と

一緒に共にするのだ

これを隊付勤務と言うのだ

隊付の年限は時代によって

異なるが、長い年は半年以上、

短い時は3ヶ月ぐらいで

隊付の途中に伍長になるのだ

上等兵として兵隊と一緒に

生活をするのだが、

やっている最中に、

例えば半年隊付をしていると、

3ヶ月ぐらいすると伍長に

なり

伍長になると今度は内務班長

として実際の班長になる

のではなく、内務班付なのだが

内務班の班長と同じ立場

として勤務をするのだ

だから、衛兵の週番下士官を

務めたり、武器庫の武器庫

週番下士官を務めたりするのだ

階級章の横に座金が付き、

この座金があることに

よって上等兵であろうと、

伍長であろうと実は将校生徒

であるということが分かるのだ

座金に円の縁取りがあると、

これは幹部候補生で、円の

縁取りがないと士官候補生

なのだ

半年、または3ヶ月以上の

隊付が終わると、終わった

瞬間に曹長になるのだ

曹長の階級章を付けて、

原隊というか、士官学校に

戻るのだ

幼年学校や士官学校予科

では生徒と言っていた

けれど、士官学校に入ると

本科、あるいは士官学校

そのものは、候補生と

言うのだ

だから、士官学校に入校

すると、例えばそれまで

「鈴木生徒」と言っていた

ものが

「鈴木候補生」と呼称が

変わるのだ

士官学校を卒業すると、

平時は半年間見習士官を

やって少尉に任官し

見習士官の時の階級章は

曹長なのだ

同じく座金はあるから、

同じ曹長でも候補生と

分かるのだ

この座金が、円の縁取りが

なければ士官候補生の曹長

であり、そうでなく円の

縁取りがあれば幹部候補生

の曹長であるということ

なのだ

いずれも見習士官で

見習士官は将校の待遇を

受けるのだ

曹長の階級章を付けているが、

待遇としては将校の待遇

なのだ

以上が士官学校を卒業して

将校になるパターンなのだ

将校になるパターンに

ついてもう1つ、

少尉候補者というのが

あったのだ

いわゆる少候と言うのだが、

少尉の候補者という意味

なのだ

少尉候補者制度というのは、

38歳未満の兵科と規定

されているのだが、

実際は30歳未満なのだ

38歳未満の兵科というのは

歩兵や砲兵や工兵といった、

実際に戦闘をする兵科の

2年以上の勤務者の特務曹長、

後に准尉、それから曹長、

軍曹の中から特に優秀な者

を選抜して、陸軍士官学校

に入校させるのだ

入校する期間は1年間で

入校している間はすでに

軍曹、曹長になっているから、

士官学校学生隊と称するのだ

卒業と同時に少尉候補者

として原隊に復帰して、

しばらくして少尉に任官し

大正10年11月卒業の第1期生

から、昭和20年7月卒業の

第26期生まで、

1万2,000人がいたのだ。

これも面白いのだが、例えば

曹長をやっていた人間が

士官学校に入校すると、

学生隊で入るのだから、

その瞬間に身分は上等兵に

なってしまうのだ

だから、伍長や軍曹になったら、

兵隊、下士官でいた時は自分

より下の者だが、

それに対して敬礼

しなくてはいけないのだ

その代わり、1年経つと

少尉になれるわけなのだ

もう1つ、1年志願制度

というものがあり

これは、明治22年だから

かなり早い段階でつく

られたのだが、

中等学校以上の卒業生、

当時は中等学校まで卒業

する人間はかなりの

エリートというか、

数が少なかったから

こういうことが可能だった

のだが、

中等学校以上の卒業生で、

しかも志願者、希望する者

に限られたのだ。

試験に合格した者、

この者を1年間だけ兵役に

就かせるというものなのだ

当時兵役は3年だったが、

1年間だけ志願者に限って

兵役に就かせたから1年

志願と言ったのだ

後に2年となるが、これは

高等学歴者に対して優遇

制度を取ったということが

言えると思うのだ

例えば学校の先生などで、

小学校や中学校で先生を

やっていて、

学校を卒業して20歳になる、

あるいは20歳を卒業して

徴兵の対象になった場合に

軍隊に入れるのだが、

2年間軍隊に取っておくと

学校の教育に支障がある

というような場合に

1年志願制度を取って、合格

させて1年間だけ兵隊をさせて、

そしてまた学校に戻す、

その代わり再召集された時

には将校になるというような

制度のことなのだ

日清、日露戦争では

これらの制度の下級将校の

補充が大変に容易になり

しかし、高学歴化が進み、

この制度は昭和2年に廃止

されて、幹部候補制度に

変わったのだ

それでは、幹部候補制とは

何かということなのだ

下士官の方で説明したが、

甲種と乙種に分かれ、

甲種に合格した者は将校への

道に進み、

乙種の者は下士官への道を

進むというものなのだ

続きは次回だ

今日はこのくらいにしといたる

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