どうも村田です

近藤勇(いさみ)は
部屋の中で腹を切ろうと
するのだ。
すると土方歳三は
「待て。今腹を切る
必要はない」
と言ったという説と、
「2人そろって腹を切ろう」
と言いだして
「いやいや、2人そろって
腹を切る必要はない」
と言ったなどいろんな
説があるのだ
とにかく土方も切腹すると、
土方が切腹するのだったら
近藤が
「いや、おまえは切腹
する必要ない」と言ったとか、
いろいろ議論があるのだが、
それはのちのちの土方の
証言が不明でよく分から
ないのだ。
とにかく、それでは近藤は
新政府軍に出頭しようと
いうことで、出頭してしまう
のだ
そのときに近藤勇(いさみ)
は左手に刀を持っていた
のだが、右手に持ち替えた
という説があるのだ。
これはあまりあまり
知られていないのだが、
武士というのは刀を
左手に持つものなのだ
なぜなら、右手で抜く
ためなのだ。
右手に持つということは
刀を抜けなくなるのだ。
左利きの人は抜けるだろう
と言われるけれど、左利きは
いないという前提になって
いるのだ。
では、武士が方の右手に
置くのはどういう時かと
いうと、2つあるのだ。
1つは主君の前に出る時なのだ。
主君の前に出る時は、刀は
右に置くのだ。
これは主君に対して
斬る気はありませんよ、
刀を抜く気はありませんよ
ということなのだ。
もう1つは降伏する時で
降伏する時は刀を右に
持つのだ。
というわけで、彼は刀を
右に持ったのだ。
そのとき土方が「近藤」
と大きく叫んだと言われて
いるけれど、
それもうそか本当か
分からないのだ。
そういうふうに言われて
いるということなのだ。
そして彼は出頭したのだ。
この時今度は大久保大和
と名乗っていたのだが、
有馬藤太は大久保大和と
名乗っている旗本、
大久保大和と名乗っていた
のだが、その人間が新撰組の
近藤勇(いさみ)だとは
知らなかったのだ。
しかし、幕府方の人間では
あるけれど、治安維持を
しているのだと言っているし、
敵対して発砲して来る
わけでもないから、
とりあえず穏便に済まそう
ということで、
有馬は近藤を連れて、
そして東征軍本営という
のが今の埼玉県越谷にあり、
そこに向かうようにしたのだ。
この時有馬藤太と
大久保大和こと、
近藤勇(いさみ)は、
2人とも刀を差したまま、
右に持ったが、再び刀を差し、
しかも馬に乗って行ったのだ。
だから対等な感じ、捕虜とか、
負けた人間とかいう感じでは
全くなかったのだ。
しかし、近藤がなぜ出頭
したのかというのは今でも
疑問なのだが、
いずれ彼が近藤勇(いさみ)
だということがばれるわけで、
発覚すればそれはおそらく
命はないだろうと分かっていた
と思うが、
その間に、おそらくだが、
土方歳三に演習に出ていた
数百人の部下を連れて流山を
脱出して、
ほかのところに行く
時間稼ぎをしたのでは
ないかというふうにも
言われているのだ。
近藤というのは、そういう
ところのある人間だから、
近藤はあくまで大久保大和
であると出頭先の越谷でも
言ったのだが、ところが、
しばらくしたところで
今度は越谷から総督府の
ある板橋に送られたのだ。
板橋は今は東京都だが、
当時は中山道の宿場なのだ。
板橋宿でそこに総督府があり、
東征大総督が有栖川宮熾仁
(たるひと)親王や、
いろいろな参謀がいて、
参謀のうちの1人が有馬だが、
そこに送られたのだ。
ここに出てきたのが
土佐藩出身の上田楠次
という参謀なのだ。
この上田楠次は土佐藩軍官
で参謀だが、彼は
大久保大和などという
人間など知らないと、
しかし近藤勇(いさみ)
だと分かっているわけ
ではないのだ。
しかし
「大久保大和というのは
どうもうさんくさい、
そんな人間がいるのか。
聞いたことがない」
という話になったのだ。
そこで、当時の高台寺党
の生き残りである
加納鷲雄。
これは当時新政府軍に
ついていたものだから、
それを呼んできて
「おまえ、見覚えがあるか」
といったら加納鷲雄は
驚くわけなのだ。
近藤勇(いさみ)、
自分の昔の親分、自分が
所属していた新撰組の
局長だからなのだ。
その時に応接所に入って
彼に向かって、要するに
近藤勇(いさみ)に向かって
「大久保大和こと
近藤勇(いさみ)、
これは珍しいところで
お会いしましたな」
と声をかけたのだ。
近藤勇(いさみ)
は一瞬顔色を変えたと
言うが、
「いかにお久しぶりでござる」
と、こう答えたということで、
近藤勇(いさみ)であることが
分かるのだ。
続きは次回だ
今日はこのくらいにしといたる

