どうも村田です

「サステナブル、持続可能」
という言葉はというのは、
実はみんな持続の時間軸を
言っていないのだ。
それは1年なのか、2年なのか、
10年なのか、100年なのか、
それを言っていないのだ
しかし、少なくとも自然を
再生させたり、地球を
もとの姿に戻そうと思うと、
そのような時間軸では
ないはずなのだ。
だから、そういった意味では、
日本の神社などというものが
なぜ残ったか、
少なくとも1,000年の
時間軸は簡単に言えて
しまうわけなのだ。
1,000年持たせるということは、
今の文明の中では意外と難しい
のだ。
日本というのはそれを営々と
やってきているので、そこに
ある考え方や仕組みという
ものはまさに
サステナブルなので、それを
ベースにいろいろなものが
発信できるかなというふうに
思うのだ。
今、世界の人類が必死になって
求めようとしている解決策が、
私たち日本人ははっと足元を
見たら
「あ、あったじゃん、ここに」
というような感じなのだ。
あとは、やはりアニミズムで、
神道の根源にある畏怖や畏敬の
部分なのだ。
だから、
「自然には神様がいるんだよ」
だとか、
「自然って恐ろしいよ。文明に
あぐらをかいていろいろな
ことをやっていると、
しっぺ返しが来るよ」
という抑止がかかるのだ
神道や日本人というのは、
そういうものを何となく
DNAに植え付けられているのだ。
しかし、これは実は日本人だけ
ではなくて、本当は人類
それぞれにあると思うのだが、
そこを日本から呼び起こす
というか、そういう役割は
あるのではないかなという
感じはするのだ。
呼び起こす、呼び覚ます
役割なのだ。
これはよく勘違いされる
時があるのだが、
アニミズム文化というものは
極めてどこもそうなのだが、
地域のものだから、
「布教活動をして大きくしよう」
という発想がないわけなのだ。
必ず言うのだが、押し付ける
ことがよくないと思うので、
「呼び起こす」
という言い方も少し上から
目線だが、
「もう1回、先祖のことを
いろいろ考えてみませんか?」
という呼びかけみたいな、
やり方とすれば、そちらが
いいと思うのだ。
押し付けていくというのは、
あまりいいことではないと
思うのだ。
なぜなら、例えば北半球と
南半球では気候も違うし、
風土も違うし、赤道を挟めば、
そこもやはり風土が違うし、
それぞれのものがあると
思うのだ。
ただ1つ言えるのは、本当に
古代の人たちには畏怖畏敬の
念があったということ、
それはぶれない事実なので、
そこをもう1回呼び起こせば
大きく変わっていく、
それが役割かなという感じは
するのだ。
聞きながらよみがえった
経験があるのだが、屋久島に
人と行っていたのだが、
水をくみに行かなくては
いけなくなって、川に水を
1人でくみに行ったのだ。
そうしたら、
「え?めちゃくちゃ
見られているな」
というふうに感じたのだ。
誰もいないし、獣もいない
のだが、そこに生えている
木々から凝視されている
感じがして、
それこそ怖くて畏怖の念
を覚えたのだ。
「この木々に飲み込まれて
しまいそうだ」と、
これは例えではなくて、本当
に飲み込まれてしまいそうだ
という畏怖の念を感じて、
あの経験はとっても
鮮烈だったのだ。
しかし、少し昔までの人は、
多分日常的にそういう経験が
もっとあって、
自然の前での自分の小ささ
と同時に、自分もその
自然の一部だという
一体感などを、もっと
色濃く感じていたのでは
ないかなと思うのだ。
多分、あれが1つの呼び
覚まされた瞬間だった
ような気がするのだ。
あとは、東日本大震災の
時に、あれだけ現代でも
多くの方が津波によって
一瞬で命を奪われ、住んで
いる場所を奪われ、東北の
人が悪いという意味では
全然なくて、
畏怖の念を忘れた人類に
対するしっぺ返しを
もらったような気もしたのだ
あの後、
「もっと日本人はみんな
そう思うかな」と思ったら、
そうでもなかったような
気もするのだが、本来
呼び覚まさなくてはいけない
けれど、
呼び覚まさせていない
大事なことはあると思うのだ。
その答えが神道の中というか、
日本人が本来受け継いで
きていた思想の中には
あるような気がして、
だからこそそれを共有する
ことによって、地球全体が
良くなれるのかなと思うのだ。
東北の震災被災地にも何度も
行ったけれども、防潮堤を
見たことがあるだろうか?
自然と隔絶してしまう
誰があのような発想をしたのか
知らないけれど、
海辺に行って海が見えないのだ。
先ほどの時間軸で言えば、
日本というのは1,000年に1回、
大きな自然災害に遭遇するのだが、
あのような防潮堤は
1000年持たないだろうと思うし、
人間の力で海を封じ込めよう
という、ああいうことは本来、
日本的発想ではないのだ。
続きは次回だ
今日はこのくらいにしといたる

