どうも村田です
普通は銃に撃たれると、
撃たれただけでもびっくり
してしまうのだが、
そういうことがあるのでは
ないかという覚悟があった
のかもしれないが、
きっちりときちんと馬に
しがみついて、右肩を撃たれ
ながらも奉行所に駆け込んだ
のだ。
非常にお人よしなところもあるし、
人間味のあるところもあるし、
豪胆なところもあるという、
ある意味では人間臭さが非常に
分かりやすい人で、下からは
随分慕われた人ではないかと
思うのだ。
そういう中で、撃たれながら
落馬しないで伏見奉行所に
立ち返ったのだが、
この後、鳥羽・伏見 の戦いがあり、
新撰組というか、幕府方が大敗を
喫すのだ。
この時、土方歳三が故郷に
書き送った手紙には、
「闘争にはいかにもなりません。
刀ややりではもう戦はできません。
これからすべて銃です。大砲です」
ということが書いてあるのだ。
というわけで徳川慶喜がこの後
ほかの大名たちと一緒に江戸に
逃げ帰ってしまって、
幕府方は惨敗を喫して、そのまま
新選組も『富士山丸』という船に
乗っかって江戸に帰っていくのだ。
やがて全快した近藤勇(いさみ)が
戻きて、そして新撰組は寛永寺に
蟄居 (ちっきょ)、
謹慎している最後の将軍である
徳川慶喜の警護などをしていた
のだが、その後、甲府支配を命ぜ
られたのだ。
甲府というのは、要するに今の
山梨県だが、山梨県甲府だが、
当時の甲府、山梨県の甲斐国は
天領であったのだ。
ここは甲府金山と言って金が出る
から、ここの支配は全部甲府城で
城代をやっている幕府が全部、
旗本だが、これが全部甲府を
支配していたのだ。
これは金山があるから、そこを支配
するようにと言って甲陽鎮撫隊、
甲斐国の南側をなでて治めるという
部隊を作って、
そして甲斐国を占領しろと言われて、
「はい、分かりました」
と言って大変に喜んで、大久保と
近藤勇(いさみ)は名前を変えて、
そして土方歳三は内藤隼人と名前を
変えて、そして200~300人の部隊を
引き連れて、
そして随分軍資金ももらって、
甲斐国に甲州街道を下っていくのだが、
これは実は幕府からすると、幕府は
もうなくなっているのだが、
旧幕府からすると、要するに
体のいいところ払いなのだ。
これから新政府軍が東海道あるいは
中山道を通って、そして江戸に
やってくるだろう。
その時に新撰組がいてはきちんと
した談判もできない、交渉もできない、
だから新撰組をなるべく
江戸から遠くに追い払おう
ということで追い払われた
のだと思うのだ。
そういうわけで彼らは甲陽鎮撫隊称して、
200人ぐらいでもって直ちに甲斐国まで
行って、甲州街道を下って甲府まで
行って金山を押さえる
ということをすればよかったのだが、
とにかく 何をとち狂ったのか、
途中の新宿で、今の新宿だが、
内藤新宿で芸者を上げて、遊女を
上げてどんちゃん騒ぎをするのだ。
さらに彼自身は調布の出身だし、
土方歳三は日野の出身だから、
甲州街道を通るから、地元 の
人たちは英雄扱いをしてみんな
やってくるのだ。
そして
「今度甲陽鎮撫隊で行くんだ」
と言ったら、
「俺も入れてくれ」
とどんどん若者が集まってきて、
とうとう500人ぐらいの軍勢になって
「これは大変だ。こんな
めでたいことはない」と、
またあちこちで酒を飲むのだ。
とうとう甲斐国まで入るのだが、
その時には既に薩摩長州軍、
新政府軍が甲府を押さえていて、
もう手遅れなのだ。
もっと早く行っていれば取れたかも
しれないが、手遅れになったところで
もって甲斐国の入り口で戦になるの
だが、これが散々に負けたのだ。
要するに200人から500人になった
といっても、昨日今日集まった連中
ばかりだから、部隊行動は全く
取れないのだ。
土方歳三は
「これから会津藩が応援に来る」
と言ったが、それはうそだ
ということが分かって、
結局撤退になり、逃げて、逃げて、
逃げて、結局は再び江戸に
再集合することになるのだ。
この時、江戸からずっと一緒にいた
沖田総司が離隊をして養生する
ことになり、さらにその後に
亡くなるのだ。
それから原田左之助や永倉新八も、
「もうわれわれはやめる」
と言って彰義隊に入って戦って、
その後行方不明になるのだ。
その後永倉は本を書くのだが、
そういうふうになるのだ。
さらにこのまま江戸にいても
仕方がないかなということで、
幕府からも外へ出ていって
もらいたい
と言われて、流山まで行って、
そこでまた新たに部隊を徴募して、
そこに駐屯をするのだ。
この駐屯した時に、新撰組は
幕府歩兵隊という名前になって
いたのだが、公式には新撰組を
名乗ることはできないのだ。
新選組を名乗れば新撰組から
どんな目に遭うか分からないから、
幕府歩兵隊を名乗っていたのだ。
幕府歩兵隊というふうに
名乗ることはできたのだ。
というのは、形式的には幕府は
大政奉還をして政権を朝廷に返して
いるから、朝廷は新政府軍をもって
日本全体を治めるのだが、
幕府が敵対しているわけでは
ないのだ。
朝廷に政権を返上しているから、
旧幕府は存在しているけれど、
しかし、そこにいる部隊の1人1 人
が朝廷の敵ではないのだ。
だから幕府歩兵隊と言って駐屯
していても、それをとがめることは
できないのだ。
そこで流山に入って、長岡屋という
酒屋があるのだが、そこを本陣として
隊士が駐屯して、さらに分屯して、
しばらくしてそこから8キロぐらい
離れた野原で部隊は訓練をしたのだ。
訓練をした時に、本陣には
近藤勇(いさみ)と土方歳三の2人と、
あと数人しか残っていなかった
と言われているのだ。
そこへ新政府がやってきたのだ。
この時やって来たのは新政府軍の
薩摩藩士、有馬藤太純雄という人
なのだ。
これが部隊指揮官でもって
やってきたのだ。
そして長岡屋を包囲し
そして「中にいる部隊は何だ」
「今外で演習しています」
「それは 一体何者だ」
と言うのだ。
そこで近藤は出ていって、
「われわれは幕府歩兵隊である。
従ってこの辺の治安を守って
いる者だ」と言うのだ。
ところが、
「いやいや、治安は新政府軍が
やるので、おまえたちは旧幕府の
人間たちは解散しろ」
という問答になり、
その時に帰ってきた
近藤勇(いさみ)は部屋の中で
腹を切ろうとするのだ。
つづきは次回だ
今日はこのくらいにしといたる