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誓いあったんじゃ

どうも村田です

八月十五日、

陸軍省 軍務局の、元気の

いい中野出身の見習士官

(少尉任官の前段階として

見習士官に任じられる)

三名(八丙)を引き連れて内幸町

のNHK放送会館に乗り込んだのだ。

見習士官はそれぞれ強力な爆弾

入りの鞄を持っていたのだ。

放送局には完全武装の一個中隊が

警備していたが、 これを押し

切って中に入ったのだ。

爆弾らしきものを携行している

様子見て、その気勢に押された

のだろう。

時計を見ると正午の玉音放送の

七分前だったのだ。

見知らぬ参謀に

「玉音放送の放送室はどこだ」

と聞いたのだ。

すると彼は

「板橋はどうした?」

と意外な答えを返したのだ。

矢吹が即座に

「板橋ってなんだ?」

と問い返したのだ。

参謀曰く

「予備放送局だ。正午になっても

陛下の放送がなければ、そちらで

放送するように手配してある。

貴官がここを爆破しても、

板橋を爆破しなければ、

玉音放送はされるのだ」と。

何と、録音盤は二枚つくられて

おり、放送局も二箇所用意

されているというのだ。

矢吹は「しまった」と

悔やんだが、後の祭りだった

のだ。

「みんな引き上げだ」と、

矢吹は企ての放棄を宣言したのだ。

矢吹は宮城前へ行って皇居を

遥拝し切腹をしようと思ったが、

三人の見習士官も後を追うことを

恐れ、断念したのだ。

後日談になるが、板橋の

予備放送局にもう一つの玉音版

があるというのは真っ赤な噓

だったのだ。

矢吹はまんまと騙されたのだ。

その嘘を咄嗟に語った件の参謀は、

一瞬の機転により矢吹の暴挙を

封じたのであったのだ。

諜報・工作を使命とする中野卒業生

は、陸軍士官学校卒業生に比べ、

その志、企画・構想・実行・行動力

が遥かに優れているようなのだ。

中野卒業生の数は少なく、

終戦時の階級は 一期生(一丙)が少佐、

二期生(二丙)が大尉であったのだ。

そんな中野卒業生の一人である

矢吹大尉以下のチーム(四名)が、

こともあろうにクーデターに加担し、

爆弾を抱えてN HK放送会館に乗り込み、

天皇の玉音版を奪取・破壊しようと

行動したことは、

終戦という指揮統制・軍紀が失われ

最大の混乱状態の最中とはいえ、

陸軍中野学校の教育

(効果・ 成果・影響など)

を考察・評価するうえで極めて

興味深く注目に値する事件なのだ

そのことは、以下述べる

「皇統護持工作」と

「占領軍監視のための地下組織づくり」

についても同じことがいえるのだ

終戦後、GHQの統治下になれば

天皇は戦犯第一号に指名される

のではという懸念が中野出身者

のみならず、国民一般の見方で

あったのだ。

天皇の処遇に関し、畠山清行氏は

その著『陸軍中野学校戦後秘史』

のなかで、次のように述べている

のだ。

〈当時の空気を語るものとして、

筆者の体験を語ろう。確か十五日の、

天皇放送の直後であった。

事後処理の相談で、

(畠山氏が所属する地域の)

国民義勇隊

(大東亜戦争末期 の一九四五年三月に、

防空および空襲被害の復旧などに

全国民を動員するために作られた組織)

の司令室に集まった十人ほどの

幹部の間で戦犯問題が論じられた。

その折、天皇の 地位に何らの変更

もなく、責任も問われずに残ると

考えたものは、一人もいなかったのだ。

最も重いもので死刑、軽いものでも

アメリカに連れていかれて一定期間

軟禁洗脳されるか、

それとも日本の宮廷に占領軍が

入り込んで軟禁洗脳するかの

いずれかで、おそらく天皇は

退位されるであろう。

そして、その後を皇太子が継ぐとも

限らない――というのが、十人の

幹部の意見だったのである。

その十人の幹部の前歴は、

学校長、警察署長など、みな

それぞれ知識階級に属する人物

だったのだ。(中略)

一般国民の間では

「天皇初め、皇族の主だった

ものは全部死刑」という極論まで

まことしやかに流されていた

のである〉

このような雰囲気の中で、

陸軍中野学校一期生たちは

「万一皇族全部が死刑という

ような場合には、天皇の血筋を

引く宮様をおかくまいして、

天皇家の血筋だけは守らなければ

ならない。我々の手で護り通して

日本を再興しようと」

と誓い合ったのだ。

続きは次回だ

今日はこのくらいにしといたる

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