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尊皇なんじゃ

どうも村田です

秋葉原から東北の一帯

は焼け残ったのだ

これはどうしてか

というと言うと、この

町民たちが逃げないで、

目の前に運河があった

のだ

そこからバケツリレーを

して全部火を消し止めた

のだ

そのために佐久間町

一帯がそこだけ焼け

残ったのだ

この話は非常に大変

有名になり、その話を

彼は言っているのだ

要するに、われわれが

「自分だけが逃げないぞ」

これは

「自分だけは最後の日本人

として働いてみよう」

という意味なのだが、

「逃げないぞ。俺は

逃げないで消火活動を

するんだ」

と言って消火活動を

した結果、

「いや俺も」「俺も」

「俺も」とその佐久間町

の人はみんな集まってきて

消火活動をした結果、

結局佐久間町は

燃え残ったのだ

財産も全部残った、

家も残った、

家族も残った、

死者も出なかったのだ

「こういう精神を持た

なくてはいけないんだ」

ということを、この付録

のところでもってから

述べているのだ

もう1つはアジアの認識と、

アジアの盟主にならなく

てはいけないということを

彼は強く言ってるのだ

「アジアというものは、

全てに対して全く忘れ

られている。

ヨーロッパにおいて

結ばれた国際条約は

どこまでもヨーロッパを

天地とし、それのみを

見て決められている。

これに対抗して、

アメリカはどこまで

アメリカを前提とし、

南北アメリカを一緒にして

アメリカモンロー主義の

もとに

『アメリカのことは

アメリカで処理する』

と言って

ヨーロッパを相手に

しておらない。

必要な時には、

ヨーロッパの仲間に入るが、

用がなければ『超然主義よ』と。

しかし、

先年の国際連盟に日本は

味方しない。しかして

13対1のあの惨敗をした

のである。

情けないかな、アジアを

認識されない結果である。

先年13対1でまで行った

争いは今回53対ないし

56対1で争わねばならぬ

ことになるかもしれない」

これは国際連盟を脱退する

時の話なのだ

満州国承認のことだが、

「いずれにしても、世界に

対してアジアの文化は

かようなものである。

アジアの現状はかような

ものである。アジア一般の

平和を保ち、

アジアの民族という

ものが安寧にいくため

には、かようにお考え

下されなくてはならぬ」。

要するに

「アジアというのは

ヨーロッパの植民地で

全く立つ瀬がなくなっている。

それを主導していくのは

日本しかないんだ。その

意識を持たなくてはいけない」

ということを、これは

ある意味ではその前に

書いたこととの繰り返し

であるが、

彼はそういうことを

言っているということ

なのだ

本の第11と第12に、

偉人とそれから武将

名将の話が出てくる

のだ

彼は

「自分はこういう

偉人が好きである。

それからこういう

名将が好きである」

と言って、

何人かの人を挙げて

いるのだが、それを

紹介していきたいと

思うのだ

彼が好きな偉人という

人を何人か挙げている

のだが、

最初に挙がっているのは

大楠公なのだ

大楠公というのは、

楠木正成のことなのだ

楠木正成は承知の通り、

南北朝時代の南朝方の

武将なのだ

足利軍を散々悩ませて、

最後は湊川で戦死を

するのだ

湊川というのは今の

神戸市だが、そこで戦死

するのだが、

その息子の正行(まさつら)

は大楠公に対して小楠公と

言われて、

今の大阪の四條畷という

所でもって戦死するのだ

彼のなかなかすごい

ところというのは、

名利を求めないこと

なのだ

要するに、出世とか

偉くなるということを

考えないで、ひたすら

後醍醐天皇に忠節を尽くし、

大軍であるところの

足利軍と戦って、これも

負けると分かっているのだが、

「京都で戦争をしちゃいかん」

というふうに公家さんに言われ、

湊川まで出ていって、そこで

戦闘をして負けて死んで

しまうのだ

こういう自分の名誉という

ものは大事にするけれど、

勝ち負けよりも、

ある意味では、名利・

名刹を求めずに、

私(わたくし)というものを

なくして戦うその姿勢、

そういうものに大変大きな

感動を得ているわけなのだ

彼はもう1人、

西郷隆盛を挙げている

のだ

西郷隆盛というのは、

皆さんご承知の通り、

明治維新の立役者の1人

だが、

彼は明治維新になったから

太政官の参議になったりしたが、

彼自身も別に「偉くなろう」

とか

「出世しよう」という意思が

あるのではなくて、最後は

西南戦争を起こして、そして

死んでいくのだ

「すべては名利ではなくて、

公のために尽くす」という

発想で、彼も生きてきた

人間であるのだ

非常に大きな人間であった

ということが言われているから、

彼はこの2人を尊敬している

のだ

東京の人ではあるけれど、

荒木貞夫さんは西郷隆盛を

尊敬しているということを

言ってるのだ

続きは次回だ

今日はこのくらいにしといたる

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