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納沙布岬キャラバン街宣 島が見えたら怒りが・・・

どうも村田です

5月5日より本日5月8日まで

北海道へ行ってました

納沙布岬北方領土返還運動発祥の碑に

参拝し北方領土返還運動に拍車を

かけるべく参加して参りました

そもそも失地領土の奪還を

スローガンに掲げる我が社

北の大地北海道には

北海道総本部が事務所を構え

毎年キャラバン街宣を8月9日に

行っているが我々も反ロシアデー

全国統一街宣を都内で開催しているため

8月参加は難しいため北方領土確定の日

にあたる5月7日に合わせ

南は岡山支部から北は仙台支部

まで精鋭を集めて北海道総本部主催で

この日に行ったわけだ

街宣車を北海道へ上陸させるため

フェリーにて移動したわけだが

仕事の都合で本日俺だけ飛行機にて

帰宅をしブログを更新している

Twitter、Facebook、YouTube、HPの

更新をしようとパソコンを持参した

フェリーはWi-Fiがなく

何もできず辛うじて7日当日にホテルで

Twitterのみできたがブログの更新も

できなかったというわけだ

時事問題が山積していく中で

忘れている訳ではないが

竹島、尖閣の問題と併せ

北方領土返還運動も加速させるべく

新たな決意のもと原点回帰の意味も

含めての運動となった

都内や地元での流し街宣や演説会のような

運動は北海道では難しい

行く道中に人がまずいない

牛や野生動物は沢山いたが

人がいなければ街宣も聞いてもらえない

だが納沙布へ行くとそこは当事者意識が高く

街中に返還運動の看板が出ていた

車中でも総隊長と話したが

元島民は墓参りすらできていない

現在のロシアの蛮行に対し米国と同じ

立場を取り制裁を課す日本とロシアの

関係悪化によりますます行き来ができない

だからっと言ってロシアに擦り寄る

訳にはいかない

元島民の皆様には承知いただけていると思うが

1945年8月9日、ソ連は、当時まだ有効であった

日ソ中立条約に違反して対日参戦し、

日本がポツダム宣言を受諾した後の

同年8月28日から9月5日までの間に

北方四島のすべてを不法占領した

当時四島にはソ連人は一人もおらず

日本人は四島全体で約1万7千人が住んでいた

ソ連は1946年に四島を一方的に自国領に

「編入」し、1948年までに全ての日本人を強制退去させた

それ以降、今日に至るまでソ連、ロシアによる

不法占拠が続いているのだ

納沙布岬北方領土返還運動発祥の碑に毎年

キャラバン街宣をしている北海道総本部によると

8月9日はガスっていたりで2回ほどしか

見えないらしいが今回俺たちが参加し

5時間の予定が6時間かけて行ったが

なんと国後島と歯舞群島が見えた

途中でグーグルマップを見ながら車両で

確認していたが根室あたりで見えた島が

国後島であることを確信した時

総隊長と興奮を隠せず喜んだ

やはり日頃の行いが良いのだ

聞いたところこの時期は気候がよく

見える時が多いとのこと

行いの良さではなかったかもしれん

どちらでも良いが島が見えれば

その運動の大事さを再認識できたし

そこには資料館もあり日本の領土が

不法占拠されていることに新たに

怒りが込み上げてくる

これを読んだあなたにも是非一度

行ってみてもらいたい

ロシアの蛮行に腹を立てるなら

こちらの方が腹腸が煮えくりかえる

択捉島や色丹島は見えないほど遠い

しかし間違いなく緑の島々北方領土は

日本固有の領土なのだ

資料館によればその先にも日本の

領土はあるが今は覚えていない

2島返還交渉などやはり納得できる訳が無い

無条件一括返還せよ

興奮冷めやらぬ今日

疲れてはいるが怒りで眠れそうもない

今日はこのくらいにしといたる

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