どうも村田です

近代国民国家から
外れてしまった
人間たちが文学を
作るわけなのだ。
しかし重要なのは次で、
大正になってくると、
これも少し省略するが、
第一次世界大戦後の
圧倒的な好景気が
来るのだ。
そうすると、彼らが
鬱屈(うっくつ)
していた
その感覚みたいな
ものを失うのだ。
なぜかというと、
食べられるから
なのだ。
文筆で食べられる
ようになったのが
彼らなのだ。
そうすると耽美派、
例えば谷崎潤一郎とか
永井荷風、
白樺派は例えば
武者小路実篤とか、
あるいは志賀直哉とか、
彼らのものを読んで
もらったらすぐ分かる
と思うのだ。
ものすごい自信家で
これはつまり、明
治文学というのは非常に
苦しんでいるのだ。
ものすごく苦悩を
語っているわけで
だけれど、彼らは
「美しいじゃん」とか
「俺ってすげえ」に
なっているのだ。
これは何かというと、
やはり時代の後押し
があるのだ。
つまり食べられる
ようになったので、
「俺が俺であるだけで
俺はすげえんだ」
みたいな、
よく分からない話
なのだ。
よく分からないという
のはまずいのだ。
しかし問題なのは、
ここに切断線がある
ということなのだ。
つまり大正と昭和を
分ける4つの切断線
これが大きな切断線で
1つは戦後恐慌
大正9年、つまり
戦後恐慌とは何か
というと、
第一次世界大戦が
終わるので、終わった
後に今まで売れていた
ものが売れなくなるので、
一気に恐慌が来るのだ。
その恐慌がまず1つで
そして間を置かずして
関東大震災が来るのだ。
関東大震災によって
江戸からずっと続いて
きたような
ある伝統文化が音を
立てて崩れていく、
これからどうなるか
分からないのだ。
もちろん復興するが、
その後にすぐ金融恐慌
が来るのだ。
しかもこの金融恐慌と
いうのは関東大震災と
関係しているのだ。
関東大震災で出している
震災手形というのが、
ここにおいて
返せなくなって
焦げ付いて恐慌に
なるのだ。
恐慌になったなと思って、
恐慌を何とかしのいだと
思ったら、
そのたった3年後に
昭和恐慌が来くるのだ。
この昭和恐慌はもちろん
1929年のニューヨークの
暗黒の木曜日から来る
世界大恐慌の余波なのだ。
リーマンショック級の
ものが4つ来ているのだ。
恐慌によってとドンッと
切断されるわけなのだ。
そして大正期までの
ある種の明るい雰囲気が
完全に消されるのだ。
消されて何が出てくるか
というと、昭和文学から
芥川龍之介と太宰治に
変わるのだ。
もう雰囲気の違いが
よく分かると思うのだ。
ここで彼らは、もう少し
言うと日本人は貧富の
拡大をまずは経験するのだ。
特に昭和恐慌はひどかった
というのはご存知かも
しれないが、
東北では食べられなくなる、
食べられなくなるどころか
餓死者が出るのだ。
餓死者が出るどころか、
家族を売るのだ。
どこに売るかというと、
女の子の場合は神戸とか
大阪とか東京とか横浜の
大都市に芸子として
売られるのだ。
今でいうところの
風俗にそこに売られて
いくわけなのだ。
売られていきながら
男はどうするかというと、
もちろん地方なんかに
仕事がないから、
東京に出てくるのだ。
東京に出てくると、
もちろんいい仕事なんか
ないからとてつもない、
『女工哀史』
とは言わないけれど、
労働者になっていくのだ
その労働者、
肉体労働者が都会に
ずっと漂流するわけ
なのだ。
そういう状況がやって
来くるのだ。今と
似ているといえば
似ているのだ。
今の方がまだまし
だけれども、当時の
世界情勢が目に見える
わけなのだ。
まさにハイマート・ロス、
つまり故郷喪失と言って
いいのだが、
ハイマート・ロスが
個人たちとなって
断片となって、
砂粒となって大衆と
して現れてくるのが
昭和の初期なのだ。
そうなると、この
「ぼんやりとした不安」
という言葉もよく分かる
と思うのだ。
続きは次回だ
今日はこのくらいにしといたる

