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皇猷扶翼なんじゃ

どうも村田です

天皇中心の国家観、

これを大事にして

いかなくてはいけない

ということなのだ

彼自身は

「社会主義だとか、

共産主義に反対」とか

「唯物論を打破する」

とかいうような経済論争

ではなく、むしろ

「物質至上主義に対する

反対、精神論を重視」

ということを、彼はずっと

言っているのだ

こういったものの考え方

というのは、明治維新

から既に60数年経って、

明治維新の時の精神という

ものが失われてきている

のではないか、

それで昭和維新という

言葉ができるのだが

「それを再び明治維新の時と

同じような精神状態に、

天皇中心の国家というものを

つくっていくということを

していかないと、

日本はとんでもないことに

なるぞ。第一次世界大戦で

目の当たりにしたように、

日本は列強の国々と戦えないぞ」

という危機感が、彼にこういう

ことを言わしめているのだと

いうふうに思うのだ

彼のこの言動というものが

当然、二・二六事件にも

大きな影響を与えたのだ

二・二六事件の決起趣意書

というのがあるのだが、それも

荒木さんのこの精神論的な

部分が反映されている文章に

なったということが言えると

思うのだ

さらに

「日本は世界3大国の

1つになっているんだ」

という言い方をしているのだ

この場合の世界3大国

というのは、

イギリス、アメリカ、日本

なのだ

「日本は世界の3大国なのだ。

だけれども孤立化が進んでいる」

国際連盟もこの後だが

脱退をするし、そういう意味では

大変孤立化していたのだ

「孤立化しているのであれば、

なおさら日本人が日本人としての

自覚を持たなくてはいけないんだ」

ということを強く、

彼は訴えているわけなのだ

第2においてはこういう

文章があるのだ

「しかるに最近に至っては、

この烈々たる国民的意気が次第に

消磨しつつある。悲観的に言えば、

急角度の沈下状態を示している」。

要するに、日本人たる天皇を

中心とした、国体を中心とした

意気というものがどんどん沈滞

していって、

非常に衰摩して、衰えて摩滅して

しまっているということを大変に

嘆いているのだ

「これは日本民族たる魂を

忘れているからだ。眼前のことに

捉われすぎていて、長い目で将来

を見るということをしていない。

日本人と国民と軍隊が一緒に

なって、そして軍民一になって

昭和維新に邁進していかなくて

はいけないのだが、それはできて

いないではないか。しかしながら」

と彼は面白いことを言うのだが、

こう書いてあるのだ

「見よ。昭和日本の前途に

日が輝いている」、

何が日が輝いているかというと、

昭和維新をやることによって、

日本にも日本民族にも再び

太陽が輝くんだよということを

言っているわけなのだ

彼は基本的に非常に楽観的な

人間だから、この楽観論を言って

最後に締めているところなのだ

第3には、

「天皇を守り育てていくことに

よって国民一丸となっていけば、

この国はとても良くなるんだよ」

とそういうさっきの楽観論を

さらに敷衍(ふえん)した

言葉を述べているのだ

彼はこういう言葉を言って

るのだ

「皇猷(こうゆう)扶翼」、

皇猷(こうゆう)というのは

天皇の威光で、そのありがたさ

ということだが、

それを扶翼する、助ける

ということで、

「この精神さえ徹底すれば、

経済も良くなるだろう。教育も

良くなるだろう。政治も社会も

良くなるだろう、個人は」

個人とは「私」なのだ

「私はその信仰をもって進む

だけのことである。そしてかく

信ずるがゆえに、この時局を眺めて、

少なくともここ2カ年はすべてを

忘れ、まい進する必要があると思う」

要するに

「こういう楽観論でいくために、

これからこの世で2年間やって

いけば、この状況を忘れて、

今のような悪い状況ではある

けれども、これを打破するために

2年間われを忘れてまい進して

いけば、日本は救われていく

のではないか」

というようなことを言っている

わけなのだ

5番目には、少し変な

面白い逸話を彼はここに

書いてあるのだ

少し長いのだが、

「ロシアの物語の中にこういう

面白い話があります。ある1匹

のブタがおって、

しきりにシイの木の下で

その実を拾っておった。

やがて腹がいっぱいになると、

ブタ先生はトロリトロリと

居眠りを始めた。そのうちに

目が覚めてみると、まだ日は

高い、腹はいっぱいである。

そこで所在なきにいたずらを

始めて、その周囲の木の根際を

鼻ですっかり堀りだしたのです。

そうしますと、その木の上に

1羽のカラスがとまっておって、

「おい、ブタさんブタさん。

そんなことをすると、シイの

木は枯れてしまうよ。

おまえさんは今、そのシイの

実を拾って、それで生きている

のじゃないか。そんな

いたずらはよしたまえ」

と言いますとブタ先生は

カラスに向かっていわく、

『いや、俺はシイノキなど

いらぬのだ。ただ、シイの

実さえあればいいのだ』と

言いながら、なおも一生懸命

掘っていますので、カラスは

『アホーアホー』と鳴きながら

飛び去っていった」

ということなのだ

要するに

「現実の目の前のものだけを

見ていて、長い目でものを

見ていないんじゃないか」

ということなのだ

シイの実というのはシイの

木があるからできるので、

そのシイの木を倒してしまったら、

何にもならないのだけど、

ブタはそれが分からないから

シイの木を倒して

「シイの実さえあればいい」

と思っているのだ

でも、現実にはシイの木を

倒してしまえばシイの実も

得られないのだ

要するに、

「今現在のことだけにうつつ

を抜かしていると、遠い将来

のことまでちゃんと見ていない

ととんでもないことになるよ」

という、ロシアの一種の物語

だそうだが、それを彼はロシア通

だから引いてきて

「われわれはもっともっと将来

のことを見据えて、今のことを

見なくてはいけない。今だけを

見ていてはいけないんだ」

ということを強く戒めている

ところなのだ

同時に

「日本人の精神、魂という

ものを海外にも植え付けて

いかなくてはいけないのである」

ということを言っているのだ

続きは次回だ

今日はこのくらいにしといたる

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