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姿を消すんじゃ

どうも村田です

その後の近衛の動静

だが、近衛は昭和14年

の1月に

内閣総辞職という形で

総理大臣の座を去るのだ。

その後、平沼騏一郎が

組閣するのだ。

平沼は8月にドイツが

日本との間に防共協定が

あるにもかかわらずに

ソ連と不可侵条約を結ぶ

という、

非常に不可解な国策を

取ったことに衝撃を受け

るのだ。

そして

「欧州には複雑怪奇な

情勢が生じた」

ということで、

よく知られたせりふを

吐いて内閣を投げ出して

しまうのだ。

その後、阿部信行

陸軍大将が継いで

阿部内閣を組織するが、

この人もわずか4ヶ月で

辞職してしまうのだ。

その後を継いだ

米内光政海軍大将、

米内内閣は、

昭和15年の1月に成立

するのだが、この人も

当時ドイツとの

軍事同盟日を結ぶことに

非常に熱心であったのだ。

陸軍の圧力に抵抗しかねて、

ことに陸軍大臣は畑俊六

という人なのだ。

畑俊六がこの米内海軍大将

の内閣には協力できない

と言って内閣を離れてしまう

と、陸軍大臣の候補が得られ

ないのだ。

そこで結局辞職をし

この時にもやはり軍部の

大臣は現役であることという、

その制度がたたるわけなのだ。

そして、米内内閣は

つぶれてしまうのだ。

そこでこれは昭和15年の

夏だが、昭和15年の7月に

近衛がこの当時国民的な

人気の非常に高い人なのだ。

確かにまだまだ若さが

あふれていて、容姿も

さっそうとした人なのだ。

再び総理大臣になり

その近衛は第1次内閣の後半で、

これが第2次でだが、当時の

陸軍次官が非常に敏腕を

発揮したということを

よく覚えていたわけなのだ。

今の陸軍を自分の思う

方向へ向けて抑えてくれる

のは、東條の政治能力が

頼りである、こう見た

わけなのだ。

そこでついに東條陸軍大臣

の登場となるわけなのだ。

この東條陸軍次官の出現との

関連でもう1つ触れておいた

方がよいと思うことがあるが、

それは支那事変を早くに

収拾するか、それともこの

機会を利用して支那に強い

打撃を与えておくか、

そこで東條とは対照的な

位置にあった石原莞爾

(かんじ)がどう動いて

いたかということなのだ。

東條が次官に就任したころに、

石原は関東軍の副参謀長の

地位にあったのだ。

ところが石原は参謀長であった

磯谷廉介中将と意見が

合わなかったのだ。

石原は、

「今や満州国は独立国家

である。その満州の独立

国家主権を保有している

その満州に対して関東軍が

指導者顔をして内政干渉に

及ぶのは、これは良くない。

これは抑制すべきである。

また、日本人官僚優遇を

することがすぎる」と、

そういうことを考えて、

磯谷中将に意見をするのだが、

磯谷は聞く耳を持たないのだ。

そこで石原は満州で勤務に

就いていることが嫌になり、

8月に予備役編入願を

関東軍司令部に提出して、

勝手に日本に帰ってしまう

のだ。

東條は関東軍の参謀長時代

に石原とはやや仲が悪く

なっていたのだ。

つまり支那事変を早く

収拾するか拡大するか

ということで、すでに

対立する立場にあった

わけなのだ

石原から見ると、欧州の

政治情勢を何にも知らない、

知的な思考力も非常に薄弱

である、

そう見える東條をとかく

バカにして、東條上等兵と

言って侮蔑したという、

これはうわさであるけれど、

うわさが流れたが、どうも

このころのことらしいのだ。

ところが今度は次官の地位に

就いていた堅気な東條から

見ると、

石原が勝手に任地を離れて

帰国してしまうという

行動は許すことができない、

軍紀違反で規律違反である

と映るわけであるのだ。

東條は板垣征四郎に対して、

「石原へは厳重な処分を」

と求めるのだ。

板垣にとっては、これは

満州事変の工作の立案者

として貴重な知恵袋であった

のだ。

そこで石原に対する処分と

求められても、それでは

ということで

12月に舞鶴要塞司令官

という暇な職務に左遷する

という、ごく軽いものに

なったわけなのだ。

この処置は石原にとっては

たまたまちょうど健康が

悪化していた時であるから、

ちょうど良いと思われた

ようなのだ。

彼、石原は舞鶴にいる間に、

年来の計画であった

世界最終戦争をめぐる読書と、

それから思索にふけって

いたわけなのだ。

石原の左遷と同時に、

石原と対中交渉に辛抱強い

継続を信条としていた

参謀次長の多田駿(はやお)、

この人も第2軍司令官として

満州に赴任させさせられるのだ。

こうして参謀本部から

事変不拡大派に努める

人材が姿を消すことに

なるわけなのだ。

続きは次回だ

今日はこのくらいにしといたる

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