どうも村田です

つまり、中国を
見てみると、
中国は例えば
宋、それから明、
清という形で王朝
が交代している
のだ。
王朝が交代した瞬間
にすべての価値概念
が転換する、
その様子を彼らは
見たうえで
「日本を見てみろ。
日本は王朝交代がない。
それこそが
万世一系の天皇を
頂くわれわれの
アイデンティティだ」
と言いだすのだ。
そして同時期に国学も
台頭してくるわけなのだ。
そうすると本居宣長、
そしてその死後弟子と
言われている
平田篤胤(あつたね)、
そういう人間たちが
まさに
「からごころ」
ではなくて、
「からごころ」
を排した
「やまとごころ」、
日本人という
アイデンティティを
彼らも発見しだすのだ。
つまり儒学的に、
朱子学的に、観念論、
天とはこういうものだ
という観念論ではなく、
まさに揺れ動く心、
あるいは自然な心の流れ、
そこにこそ私たちの
アイデンティティは
あるのではないかと
言いだして
「やまとごころ」、
あるいは
「もののあはれ」
彼らはその
アイデンティティを
中心に置きだしたのだ。
それらの
アイデンティティが
合体するのだ。
合体したうえで
どうなるかというと、
なかなか昭和に
入れないけれど、
吉田松陰はこう言う
のだ。
彼ももちろん儒学者だが、
突破するのだ。
何を突破するかと、
尊皇敬幕という、
そこを突破するのだ。
言葉で説明するのは
難しいのだ。
尊王は分かりやすい
のだ、
天皇で
同時に天皇に対して
敬意を表するという
ことは、
そのままにして敬幕、
幕府に対して敬意を
表することが一直線
なのだ。
忠孝一致なのだ。
分かりますか。
忠というのはもちろん
天皇に対しての忠で
だけれど、親に対する
孝、これは藩主に
対する孝なのだ。
これが忠孝一致
だったのだ。
だけれど、ついに
幕府が天皇陛下を
裏切るかもしれない、
あるいは裏切った
ことをしているやも
しれないと、
日米修好通商条約など
というものは幕府が
勝手に結んだもので
天皇、つまり公の
認可をもらって
いないではないかと
彼らが言いだすのだ
その時に天皇の意志
と幕府の意志が矛盾
するのだ。
その時に初めて
「おまえ、どっちにつく」
という話になるのだ。
つまり幕府につくのか、
それとも天皇につくのか
なのだ。
そうすると忠孝一致
ではなくなるのだ。
その時に彼らが言う
のだ。
「だからこそなんだ
けれども、幕府とか
あるいは
天皇を一直線に
つなぐ線を切ろう」
と言うのだ。
幕藩体制においては、
親に対する孝が
そのままにして
藩主に対する忠になり、
藩主に対する忠が
そのままにして
幕府に対する忠に
なったのだ。
しかし、幕府に対する
忠がそのままにして
天皇に対する忠になる、
この一直線を切った時に、
「おまえの決断で
天皇と一気につながるんだ」
と言うのだ。
ここまで来ると
分かると思うけれど、
幕藩体制の藩を超えて
しまうのだ。
だからほとんどの
明治維新の志士たちは
脱藩しているわけなのだ。
脱藩したうえで天皇と
一気につながると
いうことが思想的に
出てくる、
これが一君万民という
言葉なのだ。
そして一君万民に
よって、つまり一君、
天皇なのだ。
天皇が万民と直接
つながってしまう
わけなのだ。
このことによる
宗教的圧、あるいは
宗教的熱の中で、
彼らは草莽崛起
(そうもうくっき)
と言いだすのだ。
その後、明治になった
時に、これをわれわれは
臣民平等と言うわけ
なのだ。
しかし当時は
草莽(そうもう)
と言ったわけなのだ。
草莽崛起
(そうもうくっき)
は知っての通り、
ご存知だと思うが、
長州藩の騎兵隊
なのだ。
続きは次回だ
今日はこのくらいにしといたる

