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同胞家族なんじゃ

どうも村田です

一遍の詩のような

印象を受けるのだ。

橘氏は旧制第一高等

学校で哲学を学び、

東京帝国大学文学部に

進学の予定であったが、

途中で辞めて帰郷した

のだ。

彼は多くの文学に親しみ、

とくにトルストイの影響を

受け、都市より

農村を重視する思想を

もっていたのだ。

基本的には大正時代の

西洋的教養を背景にして

おり、

英語が得意で漢字は

不得手と公言し、

ラテン語辞書を常に

手元に置いて勉強する

ような人物であったのだ。

橘氏は西洋文学に深く

親しみ、その影響を受けた

文章スタイルが

もっとも自分に合っている

と感じていたのだ。

先ほどから述べたように、

橘氏は詩人のような感性や

文才をもち、

都市文明よりも農村・農業を

重視していた人物である

のだ。

彼は1893年生まれで、

同時代の有名な農村詩人

として、宮沢賢治を

挙げられるのだ。

宮沢賢治は豊かな

資産家の家に生まれ、

農学校の教師として

肥料の研究や農民支援に

尽力したが、橘孝三郎も

また農業に強い憧れをもち、

親に反発しながら農業や

農村を志向した点で共通

しているのだ。

両者は直接の知り合いでは

なかったものの、思想や

志向に類似点があったのだ。

橘氏の父親は、

東京帝国大学を卒業して

立派な人物になることを

望んでいたが、

彼が突然帰郷して農業を

志すと

「頭がおかしく

なったのではないか」

と考え、

激しく反対したのだ。

一方で母親は彼を支えた

のだ。

橘氏は若者を集めて塾を

開くなどの活動もしていた

ため、父親からはいっそう

「おかしい」

と見なされたのだ。

同様に宮沢賢治も家業を

継がずに農学校や文学、

音楽に打ち込んだことで

父親の反発を受けていた

のだ。

しかし宮沢が文学と

農業肥料の研究で理想を

形にしたのに対し、

橘氏は理想の農場経営や

思想、本の執筆では完結

せずに直接行動へと進んだ

点で異なるのだ。

橘氏と宮沢賢治は、

世代的にも活動内容にも

非常に似ているのだ。

彼らは1890年代に生まれ、

大正時代の青年期に

第一次世界大戦や

急速に進む日本の産業化

による矛盾に直面した

世代であるのだ。

そのなかで文明の方向性

に疑問を抱き、日本人の

本質は農業にあると考え、

第二次産業よりも農業や

農民を重視すべきだと

主張したのだ。

橘氏はマルクスや

エンゲルスの社会革命

思想に対しても、

産業文明の発展を前提に

する考えには共感できず、

農民の視点を重視する

立場をとったのだ。

世界的な革命的人物として

今日の日本でも知られて

いる毛沢東。

彼は1893年生まれであり、

中国が農民主体の国で

あることから、

農民を中心とした

革命を唱えたのだ。

都市文明やブルジョワ的な

思想を排斥し、反右派闘争

や文化大革命を引き起こした

のだ。

毛沢東、橘氏、宮沢賢治は

同世代であり、東アジアに

おける農業の重要性を

共通して重視していたのだ。

彼らは都市に富が集中し、

多数派である農民の生活が

置き去りにされる現状を

問題視したのだ。

農民が貧困から抜け出せず、

都会でのビジネスマンや

エリート、

あるいは工場労働者となる

しかほかに道がない状況を

批判し、

多数派である農民を豊かに

することの重要性を訴えた

のだ。

賃金労働者であっても、

結局はお米や農作物を

食べているからこそ、

その労働が可能になるのだ。

橘氏によれば、農民は

徳川時代の長きにわたる

厳しい支配により、

ひたすら耐え忍ぶ性質が

身についてしまっている。

農民が儲からないように

されつつも都会での食料を

確保するために

農民が苦しむことを

我慢させられており、

都会人もそれを当然と

みなして軽んじている。

この状況を橘氏は

耐え難いものと感じていた

という背景があったのだ。

橘氏は、日本人が同胞意識を

もち、国を変えるべきだと

詩的に訴えたのだ。

しかしその「同胞」とは

何かという問いに対し、

侍や明治以降の政府役人、

政治家、財閥の金持ちたち

が勝手に振る舞う現状では、

本当の同胞意識は成立

しにくいと考えたのだ。

彼は、駄目な者は退く

べきだという厳しい態度

を示しつつも、

(そのためにかなり

強く革命を訴えたのだが)

日本の農民は基本的に

家族単位で営む自作農であり、

そこにこそ真の同胞の姿が

あると実感していたのだ。

自作農とは、自分たちで

農地を所有し、家族単位で

耕作をおこなう形態を指す

のだ。

人を雇ったり会社組織で

経営したりするのではない

のだ。

江戸時代までの日本では、

国民の7割から8割以上が

この家族経営の農民で

あったのだ。

続きは次回だ

今日はこのくらいにしといたる

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