Share

  • Add this entry to Hatena Bookmark

こう言っとんじゃ

どうも村田です

一方で、日本の

保守思想の源流は

どこにあるのか。

実は私自身もそれを

課題として長らく

考えていたわけなのだ。

いまの日本では

「保守」界隈が非常に

混乱していて、

日本保守党という

政党も出たりして

いるのだ。

そこで改めていま、

日本の保守思想とは

何かということを

考える際に、

日本思想における

正統(しょうとう)

とは何かを探って

いきたいのだ。

そうすると当然、

天皇や皇室の問題が

出てくるのだ。

しかしそうした問題は、

日本の長い歴史の中で

考えなければならないのだ。

日本の神様を神話に

まで遡って考えるように

そうすると、北畠親房が

記した

『神皇正統記』

が非常に大事なテキスト

になるのではないか

という気がして、

自分なりに読み進めて

いたのだ。

『神皇正統記』

を通して、現代の問題に

ついて語り合いたいと

思っているのだ。

丸山眞男という人物が、

昭和17 年(1942年)に

『神皇正統記に現はれたる

政治観』という文章を

発表しているのだ。

ちょうど大東亜戦争の

最中なのだ。

その中で丸山氏は、

北畠親房のことを

「哲人政治家」

と評していたのだ。

親房の場合、公家であり、

実際の戦(いくさ) にも

参加した軍人であるのだ。

親房は、南北朝時代に

おける南朝側の実質的な

トップなのだ。

南朝にとって重要な人物

であり、歴史家でもあった

のだ。

ある意味「幅広い存在」

だったのだ。

だからこそ丸山氏が

親房のことを

「哲人政治家」

と評していて、

「これはいい表現だな」

と思ったのだ。

『神皇正統記』

を改めて読み返して、

この内容には圧倒され

るのだ。

神代(神様の時代)、

つまり天照大神

(あまてらすおおみかみ)

の時代から歴代の皇統が

続いていて、しかも

当時の歴史を知るのに

ちょうど良くて、歴史書

としてもめくるめく時代の

流れがあって、

大変ダイナミックで

面白いのだ。

この本は普通に面白いのだ。

読んでいて血沸き肉躍る

的な本なのだ。

親房は淡々と書いてはいる

けれどさて

『神皇正統記』

がどんな本かという

ことを簡単に説明したい

と思うのだ。

さらにこの本の中でも重要

とされている「三種の神器」。

これは天皇が皇位継承の

際に受け継ぐのだが、

ここにどんな意味があるのか

ということについても解説

していきたいと思うのだ。

北畠親房によって

『神皇正統記』

が書かれたのは、

延元4年?暦応2年

(1339年)なのだ。

日本が南朝と北朝とに

分裂して戦っていたのだ。

先ほどもいったが、親房は

南朝側(大覚寺統)の廷臣

なのだ。

正統( しょうとう)

とは何かというと、

南朝の後醍醐天皇と

次の後村上天皇こそが

「正しい皇統」

だということなのだ。

親房はこの正しさを証明

するという、いま風にいえば

プロパガンダというか、

南北朝時代の言論戦の中で、

「自分たちの方が正しい」

ということを説明するために

書いた本だということなのだ。

ちなみに、中世には色々と

歴史書が記されていて、

例えば慈円(じえん)

というお坊さんが記した

『愚管抄(ぐかんしょう)』

という本があるのだ。

この本は源平合戦の時代に

書かれたもので、戦乱の

時期になると

日本的な哲学や思想が

ぐっと結晶化されるのだが、

『愚管抄』と『神皇正統記』

は、後世の日本に決定的な

影響を与えた本だと思って

いるのだ。

例えば、水戸学に強い影響を

与えているのだ。

要するに国体(国の形)

をめぐる議論なのだ。

儒学者の藤田東湖(

ふじたとうこ) は

『神皇正統記』について、

「国体を明らかにし、名分を

正す。実に神州の亀鑑(きかん)」

つまり

「日本国の国体の教科書

というべき本である」

とこんなふうに言っている

のだ。

著者の北畠親房だが、

もし戦乱のない平和な時代

が続いていれば、

優秀な公家として人生を

終えるはずだったのだ。

自分が後見役(乳人)を

つとめていた世良親王

(ときよししんのう

後醍醐天皇の皇子)

が亡くなってしまうと、

「じゃあ引退します」

ということで出家して

しまうのだ。

続きは次回だ

今日はこのくらいにしといたる

Share

  • Add this entry to Hatena Bookmark

Follow Me