どうも村田です

また空気が
出来上がるわけなのだ。
そうしたら、公共事業
とか積極財政の批判的な
空気があるなと分かると、
その空気に反するような
「いや、公共事業必要だよ」
とか
「いや、積極財政やるべきだよ」
という言葉が言いにくく
なるのでだ。そうでしょう?
空気は何か、
「世の中何か石丸みんな
支援してんな」と思うと
「石丸ってちょっと
気持ち悪いと言いにくいな」
となるではないか。
大阪なら
「うわ、橋下めっちゃ、
正直俺はあいつ嫌いや
ねんけどな。でも橋下嫌い
って言いにくいな」
となるのだ。
だから空気とは逆の意見
が言いにくくなるのだ。
この場合だったら、
積極財政や公共事業に対して
肯定的な発言というのが
やりにくくなるのだ。
重要なのは、
言わないことが空気を
さらに強化するのだ。
だから、発言が空気を
作っているという
ところにみんな思いを
はせがちなのだけれど、
そうではなくて、
言わないことが空気を
作っているのだ。
だからずっと発言
しているのだ。
空気をぶっ壊すために、
たった1 人の発言でも
空気はだいぶ変わる
ことがあるのだ。
都構想だって反対する
ことができたし、安倍さん
は積極財政に転換する
ことができたし、
国土強靭化だって
やるようになったのだ。
だから、みんな発言が
空気を作っていると
いうのは、これはもう
当たり前なのだ。
だからメディアは
そうやって作っている
のだ。
しかし、1人1人が
おびただしい何百万、
何千万、
日本なら1億2,000万の
人間が押し黙るのだ。
コロナの時がそうだった
のだ。
最近だったら
エスカレーターで
歩かないように
しましょうとか
テレビで言っているのだ。
今日もラジオで言っていて
「ああ、まあそうしましょう
と言わなあかんのかな」
と思ったのですが、
「いや、ちょっと待ってくれ。
歩いていたら、事故った
例ってどれくらいあるんですか?
階段で歩いててこけて
頭を打って死んだ人も
いるでしょう?
エスカレーターは階段と
一緒だと思ったらあかん
のですか?
何かデータはないんですか、
データは」という、
空気に棹ささない、
空気を打ち破るような
裸の王様、「王様は裸だ」
という発言、この発言が
1億人が黙っていても
100人ぐらい言うだけで
空気はブワーッと変わる
はずなのだ。
そういうことがあるのだが、
しかしその100人がいなければ、
みんなが黙っているから、
「何や橋下のことみんな
嫌いなんちゃうんかな。
好きなんかな」
と見えなくなるのだ。
ここで重要なのは、
仮に橋下のことを8割
9割の人間が気持ち悪い
と思っていても、
何か「橋下はええやつや」
という空気があったら、
それこそメディアの中で
おっきい声の人がワーッと
話したら
「あ、何か橋下って
ええやつなんかな」
となるわけなのだ。
そうしたら実際上
8割9割の人間が
「橋下おかしいな」
と思っていても言い
にくくなるのだ。
空気というのは人を
黙らせるのだ。
黙らせて、黙っていたら
黙っているということが
今度は空気を作っているのだ。
最初は大きな声が何となく
の空気を作るのだけれど、
みんなが黙ることを通して、
その空気が完璧な
ものになるのだ。
だから黙っている
あなたが空気を作って
いる張本人なのだ
ということを、この
『沈黙の螺旋理論』
は明らかにしたのだ。
だから
「ヒトラーの時はみんな
黙っていたでしょう。
ナチスが怖いからって
黙っていたでしょう。
だからあんなことに
なったんじゃないの。
だからちゃんと発言
しないとダメですよ」と、
「いいから、
ちょっと面倒くさいから」
という事なかれ主義が
恐ろしい全体主義を生み出す
のだ、という話なのだ。
今言ったことは民俗学的に
明らかになった因果構造を
書いているわけだが、
このぐるぐる回るところで、
この沈黙の螺旋が全部回って、
ものすごい強化して空気を
作っていっている
という構図があるのだ
ということを、また別の
角度から解説しているわけ
なのだ。
どう考えてもこれが
真実なのだ。
空気があって、
その空気が空気をさらに
強化する、
沈黙の螺旋が回っている
のだなということは
分かったのだ。
続きは次回だ
今日はこのくらいにしといたる

