どうも村田です

皇室典範の男子という
言葉に引っかかって
しまって、
「皇統に属する男系の」
という重大な制限を
見落としてしまっている
わけなのだ。
確かに、女性は誰も
天皇になれないのに、
男性であれば誰でも
なれるというのであれば、
それは確かに女性差別と
言われても仕方がないが
大体、人類は男性が少し
多くて37億人、女性も
約37億人だが、
男性の方が少し多いのだが、
この37億人の男の中で
天皇になれる資格を
持ってらっしゃるのは
3人だけなのだ。
37億分の3というのは、
男にとって特権か?
ところが、この37億人の
女性には、皇室から与え
られている
男性にはない特権がある
のだ。
それは何かというと、
結婚を通じて皇族に
なれるし、
天皇の母にも、摂政に
もなれるのだ。
これは、国籍は関係ない
のだ。
国籍関係なく女性は
結婚すれば日本の皇族に
なれるのだ。
ところが、この皇統に
属する3人以外の男性は、
日本人であっても
皇族と結婚しても、
皇族にはなれないし、
天皇の父にも、摂政にも
なれないのだ。
ということは、皇室から
排除されているのは実は
男性なのだ。
実は、女性は歓迎されて
いるのだ。
ここがなぜなのか
というところが、皇位の
父系継承を理解する鍵
なのだ。
それでは、もう1回
祭祀(さいし)を継承
する
「氏」の観念についても
説明しておくと、本人の
性別とは無関係に
「父親→父親→父親」
というふうに遡っていくと、
共通の最初の先祖に
行き着くことを男系と
言うのだ。
この同一の父系に属する
人々を仲間・同族と捉える
というのが氏の観念で、
女性は存在するけれど、
実は女系という系統は
存在しないのだ。
人類のほぼほとんどの観念
として、血統というのは
お父さんのお父さんを
遡っていく
というのが人類ほぼ
共通の観念になって
いるのだ。
これは別に日本に限らず
いろいろな男系があるだけ
であって、
そことは違った女系と
いうのがあるわけでは
ないということなのだ。
ただ、それを理解させる
ために、女系という言葉を
使わなければいけない
ことがあるので、
女系が存在するかの
ようにみんな錯覚して
いるけれど、
それは古代の観念では
存在しないのだ。
それを英語では
「Paternal Lineage
(パターナル・リネージ)」
や
「Father’s Line
(ファーザーズ・ライン)」
と言って、
これを表すのが東アジア
では「氏」という言葉
なのだ。
この氏を区別するために
使われているのが姓と
いうものなのだ。
この氏の観念、姓の役割を
一番端的に残してきている
のが中国人や韓国人の姓
なのだ。
だから、結婚しても男系は
変わらないので、夫婦別姓
ということになるわけ
なのだ。
夫婦別姓なのはそういう
意味なのだ。
これは実は古代の日本でも
同じでして、典型的な姓は
「源・平・藤・橘」
で
「源の」「平の」「藤原の」
「橘の」という、
「の」の付くのがそうなのだ。
これは結婚しても変わらない
という一番典型的な例が、
臣下で
最初に皇后になられた
光明皇后は、結婚して
から10年経ってからも
署名する時には
「藤三娘」
と署名しているのだ。
『楽毅論』という
有名な書があるけれど、
これは藤原家の3番目の
娘と書いているのだ。
つまり、皇后陛下になられても、
今で言えば皇后陛下が
「小和田」とずっと言って
いるというのと同じなのだ。
それから、はんこは
「積善藤家」、
「藤原氏のために徳を積む」
というはんこをずっと
押しているわけなのだ。
これが氏の観念なのだ
だから、古代の東アジアの
観念では、女系、母系という
血筋は存在しないのだ。
あるのは様々な男系だけで、
家の方の観念と混ぜて
言ってしまって
誤解があるかもしれないけれど、
イギリスでも
「子は父の家に属する」
というのが原則なので、
女王の子孫が即位すれば
父系の方に家名が変わる
のだ。
今度であれば
マウントバッテンになるか、
今どういうふうになったか
覚えていないが、結合性に
なったりするのだ。
ウィンザーと
マウントバッテンは、
確かに現在の国王は
繋いだと思うのだ。
マウントバッテン=
ウィンザー
イギリス女王エリザベス2世
(ウィンザー家)と
王妃エディンバラ公フィリップ
(マウントバッテン家)
の子孫の家系が名乗る。
1960年に枢密院令によって、
女王及び王妃の男系子孫は
マウントバッテン=
ウィンザーと名乗るよう
発せられた。
続きは次回だ
今日はこのくらいにしといたる

