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考えられるようになったんじゃ

どうも村田です

「新・弥生文化」

というタイトルで、

最近の弥生研究について

書きたいと思うのだ。

まずはこれまでの

弥生文化について

おさらいをしたいのだ。

その次におととしに高校の

教科書が弥生研究に関して

変わったから、

現在の高校生がどういう

ふうに習っているのか

ということについてなのだ。

3番目には、私たちが

弥生文化と言っている文化は、

世界史の中においては

どういうふうな特徴を

持つ文化なのかということ

についてなのだ。

4番目に、最近急速にここ

10年で研究が進んだ、

DNAを使った分析によって、

私たち本土日本人の祖先像

というものがだいぶ変わって

きたので、

私たちの先についてDNA分析

の結果を踏まえた話をしたい

と思うのだ。

最後に弥生文化、つまり

私たちの祖先が水田稲作を

始めたことによって、

それが現代社会において

決して無関係ではない

もちろんプラスの面もある

けれども、マイナスの面も

あり

そういうマイナスの面に

特に重点を置いて話したい

というふうに思うのだ。

それでは、これまでの

弥生時代、弥生文化研究の

歩みについて簡単に

おさらいするのだ。

まず、弥生研究というのは、

すべては1個の土器の発見

から始まったのだ。

この土器は見慣れていると

思うけれど、最初に

見つかった弥生式土器なのだ。

もちろん見つかった時には、

弥生式土器という名前は

なかったのだ。

それまで縄文土器は

知られていたのだが、

何か少し違う雰囲気の

土器が出たなということで、

これは何だろうという

ところから研究が始まった

のだ。

口の部分が欠けておるので、

復元するとこういう

口が付くことになり

弥生式土器であるにも

かかわらず、実は

縄文土器に特有の文様、

いわゆる縄文がついている

のだ。

現在では古墳時代まで下る

のではないかという説もある

ということをまず知って

もらいたい思うのだ。

1884年の3月に弥生町貝塚

という遺跡からこの土器は

見つかったのだ。

3月といえば弥生、地名も

弥生ということで、

何もかも弥生なのだが、

この弥生式土器はそれから

5年後に石器時代の土器

として学会で報告されたのだ。

つまり縄文式土器の仲間

として報告されるのだ。

その後、弥生式土器と

いうふうに命名されるのだ。

それから、この土器が一体

どういう文化に伴う土器

なのだろうかというふうに

研究が進んでいくことに

なるのだ。

まず発見されたのはこちら

東京大学の農学部と工学部に

挟まれた所、

弥生式土器発掘ゆかりの地

となり、現在は石碑が建って

おり、

現在でも見に行くことは

できるのだ。

長い間、その当時、先史時代、

すなわち文字のない時代、

日本の文字のない時代

というのは、2つの時代が

知られていたのだ。

1つは古墳が作られる時代

そしてもう1つが明治5年に

モースによって発掘された、

大森貝塚から出てきた

土器を代表とする縄文式

土器の時代、

この2つの時代が知られて

いたのだ

この弥生式土器が一体

どちらに属するのかと

いうことから研究が始まった

のだ。

また当時、古墳時代の人たち

というのは現代日本人の

直接の祖先というふうに

考えられていたのだ。

それに対して、縄文式土器

を作った人たち、使った

人たちというのは先住民。

私たち日本人の祖先が

登場する以前に日本列島に

住んでいた人たち、

というふうに考えられて

いたのだ。

だから、この弥生式土器が

どちらに属するかということ、

結局その先住民の土器なのか、

私たちの祖先の土器なのか

ということで議論が始まった

わけなのだ。

いろいろと議論が行われた

のだが、結局大正時代になり

九州でこの土器にお米とか、

それから青銅器・鉄器という

金属器、それから石器、

これが一緒に見つかることが

報告されたのだ。

金属器が見つかるということは、

これは縄文土器の時代ではない

ということを意味するのだ。

しかし、石器も見つかっている

ということ、これは縄文式土器

の時代でもいいということを意味

しているわけなのだ

つまり、両方とも関係しそうな

ことが分かってくるのだ。

そのうち、この弥生式土器の

一種である成人かめ棺、お墓

のことなのだ

土器で作られたひつぎなのだが、

そのひつぎの中から前漢の鏡が

見つかったのだ。

中国の前漢の鏡で

これは紀元前の3世紀に成立した

前漢という国で作られた鏡なの

だが

この鏡がこのひつぎの中に

供えられているということは、

この前漢鏡が作られる時代より

前の土器であるはずはないのだ。

中国で作られないと日本には

やって来ないわけだから、

中国で作られる前から

弥生式土器があるということは

考えられないのだ。

ということで、弥生式土器

というのは大体前漢の時期と

同じ時期ではないか

というふうに考えられる

ようになったのだ。

続きは次回だ

今日はこのくらいにしといたる

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