どうも村田です
現実を考えないで明日を
何とか生きられるという
ことを先に考えるのは、
楽だからそうするだけで
あって本質的な問題では
ないはずなのだ
さすがに、
「あの戦争は日本の犯罪だ」
と言う人は日本ではだんだん
少なくなってきておるが
「あの戦争は日本の失敗だ」
と言う人は依然として
圧倒的に多いのだろうと
思うのだ
犯罪とは思わないけど、
失敗であったというのが
国内の大半の認識では
ないかと思うのだ
それも限りなく罪深い、
暗い失敗だというのが
そこに付きまとうのだ
だから考えたくない
のかもしれないのだ
その前提に縛られ、すべての
歴史の本が書かれておるのだ
教科書がそれによって
作られているのだ
大学の学問がその基礎に
構築されているのだ
失敗への反省がこの国の
良心の内容を形作る
ということになって
しまっていて、
それが社会規範となり、
公的な人生の価値観と
なっておるのだ
その前提を踏み外して勝手な
ことを言うと、
「あいつはおかしいのだ」
というふうにむしろなって
しまうのだ
むしろ困ったことだと
思っているのだ
毎年8月がくると、武道館で
天皇陛下がお述べになる
お言葉も、おおむねこの
方向で定められているのだ
つまり、犯罪ではないけれど
国民がこぞって犯した失敗で
あったということなのだ
しかし、言いたいのは
「なぜ日本の失敗ではなく
アメリカの失敗ではないか
ということを進んで問い
ただすような人がいないのか」
ということなのだ
確かに日本の歴史には過失が
あり、ゆがみがあり、
早とちりがあり、臆病があり、
認識の過失があり、
積み重ねた怠惰があり、
それが原因で失敗したという
ことが一応言えないことは
ないのだ
しかしアメリカの歴史にも
過失があり、ゆがみがあり、
そしてとんでもない錯覚や
誤認があって、
それが原因で日本は
とんでもない迷惑や大被害を
被ったではないかという
観点を展開する人はほとんど
いないのだ
いても少数なので声が
小さいということなのだ
日本人が巨大なアメリカと
戦争するというような判断の
へま、間違った決定をしたの
ではなく、
アメリカが自分の都合で
太平洋に進出し日本との
戦争を組み立て、
日本を襲撃したと考える
見方があっても良いのでは
ないかと思うのだ
戦争は双方に戦意がなければ
決して起こらないからなのだ
だから、いわゆる『昭和史』
というのを書いている
半藤一利以下、加藤陽子など
そういう人たちはみんな
「日本がいかに間違ったか」
という日本の政治を引っかき
回すことばかり言うわけなのだ
しかし、アメリカに戦意が
なければ戦争は起こらないのだ
そして、戦意にはそれなりの
長い歴史の積み重ねがあるのだ
アメリカにも、日本を敵とする、
向こうから見る必然性の歴史が
あるわけなのだ
日米のどちらの必然性の方が
より大きくて、どちらの必然性
の方がより罪深いとかという
ような観点を考えていくこと
こそが必要ではないかと思うのだ
罪深いとかと言うと道徳感情が
入ってしまうからもっと
ざっくばらんに、道徳では
なくてそれこそ合理的判断に
おいて過失であった、
失敗であったというふうな
ことがどちらの方に大きいか
ということを考えることが
近代的な歴史観にとって
必要ではないかと思うわけなのだ
戦争は双方に戦意がなければ、
絶対に起こらないことなのだ
そこから、
「なぜ真珠湾攻撃に至る
歴史の展開があったか」
ということをいろいろ研究し、
述べている人が多いわけなのだ
だんだんそういうふうに
なってきているという
面もあるのだ
2009年6月号をもって最終回を
迎えた、『諸君!』という
雑誌があるのだ
『諸君!』を知っているか
どうかはしらないが
だんだん忘れられてきて
いるかもしれないが、
文藝春秋が出していた
保守系雑誌でこれが
2009年6月号で最終号と
なり残念ながら廃刊になる
のだが、
その座談会というのがあり、
そこに出席して並み居る方々と
議論を交わしたときに、次の
ような発言をしているのだ
「ふがいのない日本人は
なお大多数を占めていて、
その様相は少しも変わろうと
しません。
あの戦争に対する日本の
正しさの認識を取り戻さない
限り、いつまでも、
これからも占領期間は長く
続くのです。
おそらくこのままいけば
戦後100年を迎えても、まだ
占領期でしょう。そのような
国が世界にありますか」
というふうに述べたのだ。
そういうこともあったのだ
20世紀前半まで、アメリカの
最大の敵は日本でもドイツでも
なく、イギリスだったのだ
「えっ」と思うかもしれない
けど、英米間の戦いは長く、
かつしつこかったのだ
アメリカは長い間、イギリス
のような海軍力を持って
いなかったのだ
ロシアやドイツのような
陸軍力も持ってなかったのだ
これは19世紀のことを考えて
ほしいのだ
それに、引け目があったのだ
また、産業資本主義国家と
してもアメリカはイギリスや
フランスに到底及ばなかったのだ
アメリカは若い小国に
すぎない時間が長かったと
いうことをわれわれはつい
見落としがちだが、
考えてみなければならない
1774年アメリカ独立戦争の
前の年だが、
エンプレス・オブ・チャイナ
という船がニューヨークから
朝鮮ニンジンを積んで広東に
向かうのだ
アメリカ東部に産する野生の
ニンジン、つまりアメリカ産の
朝鮮ニンジンを清国に運んだ
ということなのだ
それが米中直接貿易の始まり
であったのだ
続きは次回だ
今日はこのくらいにしといたる