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謎だらけなんじゃ

どうも村田です

歴史の史料の見方、

できごとの考え方、

そんなことに少し迫って

いきたいと思うのだ。

題材は、「本能寺の変」

にしたいと思うのだ

謎だらけでその謎だらけの

本能寺の変だが、その謎は

一体何なのかというところに

迫っていきたいと思うのだ。

『絵本太閤記』

といわれるものの挿絵の一部

なのだが、ちょうど本能寺に

明智の軍勢が押し入ったところ、

そこに対して本能寺の変、

本能寺の方から織田信長、

ならびにその周りの者たちが

必死になって交戦をしている

ところ、

その辺の様子が描かれていた

図で『絵本太閤記』とは、

その後になって

秀吉が自分の功績を明らかに

するために描かせ たものの

一部なのだが、

現在の歴史観からいうと、

「まあ、こうだろう」

とずっと思われてきたのだが、

実際はどうもそうではなかった

かもしれないというのが

さまざまな史料から明らかに

なってきているのだ。

まず本能寺の変そのものについて、

少し理解を深めていきたいと思う

のだ。

本能寺の変の理解といえば、

やはり何と いっても織田信長

なのだ。

織田信長は当時どんな存在

だったのか、彼がどのように

して天下人の入り口に立って

いたのか、その辺をざっと

おさらいしたいと思うのだ。

信長は、どこまでいわゆる

天下統一を成し遂げていたのか、

よく言われることなのだが、

「信長は簡単にすぐ天下統一

をするところまで来た」とか、

「もう天下統一をしたんだ」

と言う人もいるのだ。

では、具体的にどこまで

いったのかというのを少し

明らかにしたいのだ。

これをさかのぼると、

永禄10年、これは信長が

桶狭間の合戦後から7年経つ

わけなのだ。

7年後には美濃の斎藤氏を

滅ぼすことになるのだ。

美濃の斎藤氏というのは、

もともと信長の奥さんの

お父さんであった斎藤道三が

治めていたが、

その後、子どもたちによって

その座を奪われ、斎藤龍興

という人がいたが、彼を最後に

滅ぼすのだ。

その斎藤氏を滅ぼしてから、

がぜん彼は世間の脚光を

浴びるようになるのだ。

その時に彼が入った稲葉山、

このお城を「岐阜」

と名を改めて、

岐阜城に入った時に作った

はんこ、印なのだが、

何と書いてあるか

お分かりになるだろうか?

実は「天下布武」

と書いてあるのだ。

有名な言葉でこれは、

「天下を武力によって

治めるんだ」と捉えられる

人がいるが、少し違うのだ。

「武」というのは、

もともと

「戈(ほこ)を止める」

という意味なのだ。

この字を見れば分かり

つまり、

「武というのは戦うものでは

なくて戈(ほこ)を止めるもの」

ということなのだ。

信長が言った天下布武

というのは、

「私でもって戈(ほこ)を

もう止めますよ」

ということを言ってるわけ

なのだ。

「武力でこれから

天下を統一するぞ」

と言っているわけでは

ないのだ。

ここでもう1つ問題になるのが、

「天下」

というのはどこら辺のことを

言うのだろうかということなのだ。

これは、実は近畿の方で先に

研究が進んでいて、天下

というのは全国ではなくて、

天皇陛下がお見えになった

朝廷があった京都を中心とした

畿内の地域、

その全体を天下という認識を

していたのではないのか

というふうに、このごろでは

言われているのだ。

だから、信長が言った

「天下布武」というのは、

室町幕府の再興を彼が図りながら、

畿内全体をもう一度安らかな

土地にすること、それが信長の

印の狙いだったのではないのか

というのが近年の研究で

よく言われていることなのだ。

実際、そのようになっていくのだ。

まず、永禄11年、天下布武印を

作った翌年になるのだろうか。

将軍足利義昭を奉戴して、

信長は上洛するのだ。

これは義昭からの要請もあった

のだが、その時に京都を支配

していた三好三人衆というのを

信長は追放するのだ。

追っ払うわけなのだ。

そして、義昭を京都に入れて、

ここは三河松平の話だが、

足利義昭を15代将軍として

擁立をするのだ。

その時に、彼は御所も用意をして、

直して、義昭をそこに入れるの

だが、

信長はその後

「いったんこれで落ち着いたね」

ということで岐阜に戻るのだ。

戻っている間に、また三好衆 が

その御所を襲うわけなのだ。

今度は、足利義昭がその御所

から逃げるのだ。

そして、その御所が焼けて

しまったから、その後怒った

信長がまた上洛して、

「今度こそ」ということで、

三好衆を追放するのだ。

続きは次回だ

今日はこのくらいにしといたる

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