どうも村田です

ソ連参謀本部内で
混乱をきたしていた
ということなのだ
なぜかというと、
この問い合わせをした
スラヴィンという
特別部長は、
ソ連の参謀本部の中
では参謀総長を外交面
で補佐する役割の
特別部長にすぎず、
最高首脳ではなかった
のだ。
これもあの
ソ連スターリンの
独裁体制の秘密主義の
弊害なのだが、
ソ連が当時特別重要な
作戦に出るときは、
ごく一部の最高首脳にしか、
いくら参謀本部の中で
あっても知らせて
いなかったようなのだ。
だからスラヴィンは
ラインから外されて
いたわけなのだ。
ラインから外されて
いたから、おそらく
本当に侵攻していた
ことも認知しておらず、
一方では後に、日本側
からの反論と言うか、
抗議によって
AP通信がマニラ発で、
連合国軍が占守島に
侵攻したというのが
世界に流れるわけなのだ。
そのようなことを聞いて、
「ああ、おそらくこれは
アメリカ軍がやっている
のではないか。
アメリカにしてやられた」
とスラヴィンは思い込んで、
こういう愚かな、愚か
というかおかしな電報を
送ってしまったと、
マッカーサーにただして
しまったと、疑心暗鬼に
駆られてというような
ことなのだ。
ひいては、やはり作戦が
うまくいっている時は
参謀本部内で
こんなことが起こら
なかったのだけれど、
予想外の抵抗に遭って
混乱したというような
ことがここから言える
のではないかなと
思うのだ。
混乱と疑心暗鬼が
広がっていたと
いうことなのでは
ないかなと思うのだ。
スターリンがどう出た
のかということなのだが、
この予想外の日本軍の
徹底抗戦で疑心暗鬼に
なって出鼻をくじかれた
ソ連スターリンが、
おそらく日本に手を
出すのはもう危険だと、
このように真っ先に
始めた北の占守島でも
こういうことだから、
ずっと南下していくと
どれだけ時間がかかる
ことだということで、
これはもうこの時点で
北海道占領を諦めたのだ。
諦めて、8月15日に
トルーマンに要求していた
北海道占領というのを、
22日に、実は前後して
トルーマン大統領に
北海道の断念を伝えて
いるのだ。
ここは歴史家によると、
ソ連が北海道を断念した
のはこの世界の最高
権力者のトルーマンから
却下されたから、
トルーマンに却下された
から北海道占領を断念
したというような
歴史家の方々たちの評価
もあるのだが、あえて
それだけではない、
やはり現場の抵抗が
スターリンに二の足を
踏ませたというように、
2つの要素はあるのだが、
どちらかというとこの
樋口さんたちの抵抗が、
ソ連を押し止めたと
いうように考えるのだ。
スターリンは何をしたか
というと、北海道を
諦めたスターリンが
やったことは、
その翌日に、この
北海道の領土が取れない
のならマンパワーで
その埋め合わせを
しようということで、
50万人の日本兵、
厳密にいえば日本人、
兵士以外の日本人も
抑留せよと、
シベリアはじめソ連に
連れて来いと、こういう
抑留せよという極秘命令を、
捕虜として移送せよ
という極秘命令を
23日に出しているのだ。
さらに北海道を
取れなかった代わりに、
ヤルタで密着した
北方4島や千島列島の
占拠に全力を挙げる
ことになるわけなのだ。
それが証拠に、
ロシアの国営通信社の
「スプートニク」という、
偽情報を最近よく流して、
世界的にはプロパガンダ、
偽プロパガンダの情報機関
ということで
警戒をされているのだが、
この「スプートニク」
旧モスクワ放送の
ロシアの国営通信社の
「スプートニク」は、
2020年の2月3日に、
「スターリンはなぜ
北海道の占領を諦めたのか、
断念したのか」
という特集を組んで
放送しているのだ。
北海道侵攻作戦は実際
あったと、8月22日から
23日に実際に始める予定
であったということから
報じて、ではその断念
した理由は何だったのか
という結論として、
もちろんトルーマン大統領
は北海道占領を拒否した
ということはまずあり
それだけではなく
すべての戦場、占守島や
樺太、あるいは満州も
含めて
すべての戦場で日本軍
部隊が大きく抵抗した
のだ。
そしてクリル島
サハリン作戦に影響を
与えたというように、
これをはっきり書いて
いるのだ。
続きは次回だ
今日はこのくらいにしといたる

