どうも村田です
1.中野は「スパイ学校」
ではなく「秘密戦士養成所」
である。
秘密戦とは武力戦以外の
全ての戦争を指す。
「知恵の戦い」、「見えざる戦い」
であり、
中野では「諜報・宣伝・謀略・防諜」
と分類。
後に武力戦である大東亜戦争中
「遊撃戦」も含めた。
「電子戦」「サイバー戦」とか
「政治戦」「経済戦」「外交戦」
とか「思想戦」「心理戦」等多くの
呼び方がある。
「後方勤務要員養成所」のときに、
「日本国籍を抜いて仮想敵国に
永久の駐在武官となる」という表現
を使ったものがいたようだが、
中野の歴史に「諜報」という
言葉に最もふさわしいKGB用語の
「イリーガル(非合法工作員)」
は一人もいない。
2.「秋草俊少将は初代の中野学校長」
と書いた作家がいるが、伊藤佐又教官の
「英国神戸領事館襲撃未遂事件」の
責任を負って
ドイツの星機関長に転出して、
遂に中野学校長になれなかった。
そのため当初の「秘密戦士養成所」
のイメージがなくなって、
「官僚化した」といわれる。
3.「北朝鮮の対日秘密工作は
中野学校に学んだ」と『SAPIO』
に書いた軍事評論家がいたが、
北朝鮮はソ連内務省が創設した国
であり、国家安全保衛部とか、
軍偵察総局ら特殊機関は旧ソ連の
KGBやGRU、東独情報機関
「シュタージュ」に学んだ。
中野学校の解散後二一年も経った
一九六六年から一〇年間製作上映
された市川雷蔵主演の大映映画
「陸軍中野学校」五部作を、
金正日政治軍事大学でスパイ映画
三〇〇本の一つとして学生に見せた
事実があるが、
金正日が推薦したのは高倉健主演の
「新幹線大爆破」であったといわれる。
「拉致問題が解決しない本当の理由」
と題する本の中で
「中野学校教育が金日成政治軍事
大学において採り入れられたからだ」
と書かれているが、
北朝鮮の元英国公使太永浩の著書
『三号書記室の暗号・北朝鮮外交秘録』
の原本によれば、
第二部第七章は「少年留学生」
となっているのに、日本語訳では
「陸軍中野学校が教科書だった」
となっている。
内容は、外交官養成の国際関係大学では、
「日本の中野卒業生の様に、祖国の
ために命を惜しげもなく捧げなければ
ならない、と教員から習った」
というだけである。
その国際関係大学出身の太永浩が
亡命しているが、中野学校から
学んだのは愛国心であって対日工作
ではない。
これは二〇〇〇年代の辺真一の
『コリアレポート』で裏付けられる。
北朝鮮から韓国への亡命者証言によると、
「清津政治犯収容所に中野卒業生がいて、
戦後北朝鮮当局に捕まり何十年も非転向
で囚人生活を送り、金正日は工作員の
模範として殺さないで拘留中」という話。
亡命者安明進の
「金正日政治軍事大学で対日工作を
教えている」という証言と逆である。
また、マレーシアで金正男を殺した
北朝鮮国家保衛省の元祖は
陸軍中野学校だとか、
その毒薬VXガスは登戸研究所の
創製だとか(この事件に直接関係が
あるかどうかは不明だが韓国が
マレーシアに違法輸出した事実が判明)、
大韓航空機事件の犯人金勝一が
アブダビ空港で服毒自殺した毒薬は
登戸研究所創製とか、
北朝鮮の百ドル偽造紙幣
「スーパー・ノート」は登戸研究所の
技術だとか、日本内外の事件のすべては、
中野か登戸研究所の起源説にしないと
気が済まない自虐的作家の著作には
呆れるばかり。
毒薬の先進国は旧ソ連(ロシア)
であることは周知の事実。
秘密戦に関して中野は旧ソ連に
比べてはるかに後進国だ。
続きは次回だ
今日はこのくらいにしといたる