Share

  • Add this entry to Hatena Bookmark

1年なんじゃ

どうも村田です

上等兵が営門などの

週番勤務に就く時に、

伍長勤務の腕章を付けて、

下士官の補佐として

同期生である同年兵の

一等兵や新兵の二等兵を

指揮して勤務をするのだ

このことを伍長勤務

上等兵と言ったのだ

通常は略して

「伍勤上等兵」

と言ってるのだ

昭和15年以降、兵長の

階級ができるまでは、

この制度があったのだ

1月に入営した新兵は、

通常5月に第一期検査を

受けるのだ。

いわゆる査定で

さらに9月か10月に

第二期検査を受け

結果、優秀者が上等兵

候補者になるのだ

そして、11月末に古兵

である2年兵が除隊するのだ

だから、兵役は2年だが、

実際には1月10日に入営して、

11月末に除隊するから、

大体1年11ヶ月が兵役だった

のだ

11月の末に古兵が除隊すると、

軍隊、兵営は新兵だけの世界に

なるのだ

そして、一等兵と上等兵に

分かれるのだ

10人ぐらいいた内務班の

二等兵は、うち8人ぐらいが

一等兵になり、優秀者2人

ぐらいが上等兵になるのだ

翌年の1月、新たに新兵が

入ってきて、彼らが入って

くることによって、また再び

1年間の兵営生活が始まるのだ

これが兵の1年なのだ

ちなみに、朝鮮、台湾では

徴兵制はなかったが、

朝鮮では昭和13年に志願制度

が実施され、

戦局の悪化に伴い昭和19年

には徴兵制が実施されたのだ。

台湾は昭和17年に志願制が

導入され、昭和20年の初めに

徴兵制が実施されたのだ。

よくテレビや映画で、陸軍の

内務班で古兵や下士官が

新兵に暴力を振るう場面が

登場するが

ああいうことが起こる

ようになったのは、実は

昭和12年の支那事変勃発

以降なのだ

それまでは、内地において

2年弱の兵営生活で、

しかも郷土部隊だから、

1年上の古兵、あるいは

下士官など、同じ内務班、

中隊で知り合いがたくさん

いるわけなのだ

小学校の同級生や、あるいは

同級生の兄弟、兄貴がいたり、

親戚がいたり、いとこがいたり、

あるいは隣近所の年長者がいたり、

実際に部隊にいなくても

関係者がたくさんいるのだ

あるいは、近所の地主と

農民であったり、あるいは

その逆であったりするのだ

例えば古兵さんが農民で、

新兵さんが地主の息子

だったりということは普通に

行なわれていたわけなのだ

村落というものは、基本的に

当時の日本では生活の中心的

な舞台だったから、その中で

元の生活に戻れば、

また同じように先輩後輩に

なったり、あるいは農民と

地主になったり、隣近所と

して暮らしていくわけで、

そういう中でテレビや映画に

出てくるような暴力事件、

暴力沙汰が朝から晩まで

行なわれていれば、とても

軍隊が終わってから持たない

のだ

だから、あのようなことは

実はなかったのだ

しかし、昭和12年に

支那事変が起こり、

それまでは2年で除隊できた、

現実には1年と11ヶ月で

除隊できたものが、除隊

延期になるのだ

戦争が始まってるから、

軍隊はどんどん動員されるし、

2年で除隊しないで除隊と

同時にただちに再召集し、

昨日除隊して今日召集だから、

何も生活は変わらないのだが

そのまま軍隊にとどめ

置かれたり、

あるいは戦地に行く

ことになったりするのだ

それまで、昭和6年には

満州事変があったが、

満州事変ではそうい

うことはほとんど起こら

なかったのだ

満州事変の戦地に行った

部隊は戦時編制をしたが、

内地ではそのままだったのだ

が、支那事変以降は内地に

いる部隊も全部戦時編制に

なったから、除隊も延期に

なっていくし、

いつまた動員がかかるか

分からない、いつ戦地に

行くか分からない、

しかも満州事変と違って

支那事変は戦死率が非常に

高くなったから、

戦死するかもしれない

というような空気が起こって

きて、古兵の暴力が頻繁に

なってきたということが

あったのだ

従って、動員数が大幅に

増えたことで、除隊すべき

者が除隊即召集となって、

除隊が延期され、

さらに厳しい戦地が待って

いるというような状況から

内務班で暴力が振るわれる

ようになって、

それが終戦まで日常化して

いったというのが実情なのだ

話を戻し

軍隊では大将は親任官、中将、

少将は勅任官、佐官、尉官、

准士官は奏任官、

下士官は判任官とされて

いるのだ

親任官というのは

「親が任ずる」と書くが、

これは天皇が親しくしている

1人を任命するという意味で

付けられたものなのだ

現実に親任官になると、

宮城(きゅうじょう)、

今の皇居に参内して、

天皇陛下と1対1でお会いして、

天皇陛下から親しくお言葉を

賜るのだ

中将、少将になると勅任官と

言うけれど、これは

勅(みことのり)を下して、

天皇が任命するということ

なのだ

だから「勅」という字は

「みことのり」の意味なのだ

これも実際には皇居に行って、

天皇に拝謁するのだ

この時、天皇は言葉は発せず

ただ黙って頭を下げて出てくる

だけで何も言われないのだ

奏任官以下、「奏」は

「奏でる」という字で

奏任官以下は天皇に奏上して

任命するという意味なのだ

実際には数が多いから、

何もしないのだ

その下の判任官は、天皇が

はんこを押すという意味だが、

これも実際には何もしない

のだ

そういう意味では、

何々官という名前が付いてる

から、判任官以上は任官に

なるわけなのだ

任官になるということは

下士官であっても国家の

一員である、

国家で一定の地位を占めている

ということになるのだ

兵隊にはこれは当てはま

らないのだ

続きは次回だ

今日はこのくらいにしといたる

Share

  • Add this entry to Hatena Bookmark

Follow Me