どうも村田です

すべての戦場で
日本軍部隊が大きく
抵抗したのだ。
そしてクリル島
サハリン作戦に影響を
与えたというように、
はっきり書いているのだ。
言っているのだ
その結果、北海道の
上陸予定までは
終わらせられなかったと、
22日、23日までには
終える予定だったのだ。
ところが、出鼻を
くじいたがために
無傷で占領できなくて、
北海道の上陸作戦予定
まで間に合わなかったと、
これが北海道占領を
放棄した理由だと
指摘しているわけなのだ。
もちろん
「スプートニク」
は国営メディアだから、
ロシア政府が日本軍の
抵抗が侵攻に影響して、
北海道を諦めた可能性を
示したということにも
なるのだ。
ロシア政府が可能性を
示したということなのだ。
従って樋口の自衛戦が
北海道を守って分断を
免れたということを
ロシア自身が認めた
ということが言える
のではないだろうか。
それだけではなく
もう1つ、樋口が命令を
下しただけではなくて、
行ったことの1つに、
大本営を通じて、
この暴挙を国際的な
問題であると、
連合国関係機関、つまり
マッカーサー司令部に、
アメリカ側にこれを
やめるように
速やかに折衝すべき
ということを直ちに、
18日に求めているのだ。
防衛研究所に
残っているこの電報
なのだ。
それを受けて、大本営も
翌日マニラの
マッカーサー本部に、
緊急電でこの樋口の
意向を、ソ連軍側が
暴挙を働いた
ということに抗議して、
即時停戦の指導を求めて
いるのだ。
こういう抗議をしたことが、
残念ながらソ連はその
戦闘中止を拒絶して侵略が
継続されたのだが、
AP通信が、この
マニラ発でこの日本が
抗議をしてきたと、
「Japan protest Allied
landing on Kuril island」、
Allied landing、
連合軍がクリルの占守島に
攻めてきたと、
連合軍となっているが、
これはロシアということは
明らかで、
日本がこの反撃のための
自衛戦争をしたということ、
そしてポツダム宣言が
受諾されて敵対行為が
禁止された以上、
早急に敵対行為を停止
すべきという日本側の
主張まで世界に発信して
いるのだ。
この樋口の直訴が、
敗戦国が戦勝国の米国の
支持を得て、
ソ連の暴挙を国際世論に
訴えたという、これは
一種の情報戦の勝利だった
のではないかなと、
こういうことを情報戦に
訴えたということも
先見性があった
樋口の成果の1つでは
ないかなと思うのだ。
では樋口のこの行動から
私たちは何を学ぶべき
なのか、
現代の教訓ということ
を考えたいと思うのだ。
残念ながらソ連に
幻想を抱いて、最後に
われわれは大どんでん
返しを食らった形だが
日本は、歴史的に他国を
信用しすぎて失敗した
ということがあるのだ。
戦前戦中、ソ連を
一人よがりに一方的に
信用しすぎて、最後に
大どんでん返しを
食らったのだ。
1945年2月から終戦の
8月まで、少なくとも
この半年は、
ソ連が最後は助けて
くれると甘い幻想を抱いて、
それが最高首脳まで、
最高首脳がこういう
甘い幻想を抱いていた
のだ。
まず1つは、十分反省
しなければいけないのは、
よく言われているけれど、
この年の4月にヤルタ密約
を結んだソ連が、
モスクワ駐在大使の
佐藤大使を呼んで、
モロトフ外相は中立条約の
不延長通告、つまり破棄を
申し出るのだ。
これをもってソ連は、
もう破棄をしたから
参戦しても文句はない
だろうと
いうような言い方を
する人もいるのだが、
許せないのは次のこと
なのだ。
この時に、中立条約を
不延長通告した時に、
佐藤大使の説明の中に、
ソ連側は
「今破棄をしてもあと
1年有効なので、何ら
われわれは野心がない」
ということを言って
信用させているのだ。
あと1年有効だという
ことを、これを間に
受けてしまったのだ。
実際は、1年どころか
その3ヶ月、4ヶ月後に
実際に侵攻してくるの
だが、
戦争を仕掛けてくるのだが、
何ら野心がないと、あと
1年有効だということを
信用してしまった、
だまされてしまった
ということなのだ。
お人好しにもほどがあり
ほかの13カ国はすべて
攻められているのに、
国際常識が欠けていた
のだろうか。
続きは次回だ
今日はこのくらいにしといたる

