どうも村田です

古代日本人は歴史を
神話から書き始めて
いるわけなのだ。
大文明国である中国の
模範を知っていて、
それにならわなかった
ということは、
それは無知でも未開
でも迷信でもないわけ
なのだ。
むしろ、明確に自覚
された独自の考えがあって、
それに基づいて、
あえて中国のやり方を
まねしない、むしろ、
中国との違いを意識して
神話から歴史を書き始めた、
そう考えるしかない
わけなのだ。
どうしてそのように
考えられるかというと、
実は、『古事記』や
『日本書紀』
が書かれた時代というのは、
日本が中国文明圏から自立
して独自の道を歩み始めよう
とした時期だったからなのだ。
「倭」ではなく「日本」
という国号を定め、
「王」ではなく「天皇」
という
独自の君主号を定め、
中国が作った年号ではなく
大化という独自の年号を決め、
中国の法体系である律令を
そのまま持ってくるのでは
なく独自に変化させて
「大宝律令」を作り、
それから中国の貨幣ではなく
和同開珎(かいちん)
という独自の貨幣を作る、
すべてこの時代の出来事
なわけなのだ。
そして、まさに独自の歴史
を書くという行為そのものが、
実は中国とは異なる
日本の独自性を主張する
ためのものだったわけ
なのだ。
何しろ、中国の皇帝と
いうのは、世界の中心で
空間も時間も支配する
存在だったのだ。
だから、歴史書を書くとか、
暦を定めるとか、そういう
空間や時間に対する支配権
を持っていたのだ。
だから、歴史も書くし、
日本が『古事記』『日本書紀』
を書く前は、
中国の歴史の中で
『東夷伝(とういでん)』、
「東の野蛮人の歴史」
みたいな感じで、
中国が周りの国々の歴史を
書いていたわけなのだ。
つまり、独自の歴史を
編さんするということ自体が、
中国の皇帝の支配権に対する
重大な反逆とも言える行為な
わけなのだ。
では、
「神話から歴史を書き始める
ことによって表現された、
日本人独特の考え方、思想
とは何だったか?」
ということなのだが、
結論から言うと、それは
①国土も国民も統治者も、
人間を超えた神聖なものから
生まれてきたということ
②この世の前に神聖な世界
があって、この世の秩序は
それが移し替えられたもの
であるということ
③だから、時代が変わっても
日本の国の基本的な国柄は
永遠に変わらないし、変えて
はならないということなのだ。
これを一言で表したのが
「万世一系」という言葉で、
「万世一系思想」と言っても
いいと思うのだ。
一筋の天皇の血筋がこの国
をずっと治めていくという
ことは、この国の秩序が
永遠に変わらないということ
と同じことなのだ。
このような世界観、
歴史観の意味を理解する
ためには、当時の日本人が
意識していた
中国の歴史に対する
考え方を知る必要が
あるのだ。
それはどういうもので
あったかというと
「この世の歴史は、徳や
政治力に優れた君主、聖人が
人民を支配するところから
始まるのだ。
そして、もしその君主が
徳や能力を失えば、新しい
血筋の君主に交代すべきだ」
というもので、
これを「易姓革命」
の思想と言うのだ。
「易姓」というのは、
「国を治める君主の姓が変わる」、
つまり「血筋が変わる」
という意味なのだ。
例えば、漢という国が
中国大陸にあったけれど、
漢という国の皇帝の姓は
「劉」で、
劉邦という人から
始まっているのだ。
そして隋の皇帝の姓は
「楊」、唐は「李」
なのだ。
これに対して日本の
天皇には姓がないのだ。
それは、血筋が変わって
いないから、区別する
必要がないからなのだ。
中国の易姓革命の思想
というのは、
「統治者の能力や徳を重視
して、有能な君主を求めた」
という点では確かに評価
できるものであるが、同時に
大きな欠点もあったのだ。
それは、統治者に反抗し、
国家を滅ぼそうとする
人々の反逆行為を正当化
してしまうということ。
「勝てば官軍」ということ
なのだ。
そのため、中国では、国が
衰えると戦乱に次ぐ戦乱が
繰り返されてきたのだ。
そして、前の国家が滅亡
するたびに多くの人々が
財産や命を失うという
悲劇が繰り返されてきた
のだ。
国が滅びるというのは、
何と言うか、統治者の
血筋一族が滅びるという、
そんな単純なものでは
ないのだ。
多くの人民まで巻き込んで、
とても悲惨な状況になる
ということなわけなのだ。
まさに今、われわれは
その姿を見ようと立ち
会っているわけなのだ。
さらに、歴史が事実の記述
ではなく、事実を描く
のではなく、
ある国家を滅ぼした者が、
その反逆の正しさを証明
するために、
「どうして前の国は滅び
なければならなかったのか」
と前の国家の歴史を描く、
つまり、歴史が今の国家、
政府を正当化する道具に
されてしまうわけなのだ。
このような目的で書かれた
中国の歴史を、皮肉にも
「正史」、正しい歴史と
言うのだ。
つまり、中国では現政権を
擁護するために歴史は
書かれるわけだから、
たとえ事実であっても、
現政権が不利になる
ようなことは
「歴史歪曲(わいきょく)」
として否定されてしまう
わけなのだ。
ここが、今日まで続く、
中国人と日本人との歴史に
対する考え方の根本的な違い
なのだ
続きは次回だ
今日はこのくらいにしといたる

