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吹いたんじゃ

どうも村田です

こんな酷い戦争は

もうやってられない

と思って、

相手が条件を

出すまで戦い続ける

しかないのだ。

大西中将は

そのために特攻作戦

を考えたのだ。

隊員の中には、

それを明確に意識して

いる者もいたのだ。

西田高光中尉で

作家の山岡荘八が

昭和37年8月9日の

『朝日新聞』に載せた

「最後の従軍④」

によれば、

山岡の

「この戦を果たして

勝抜けると思うのか? 

もし負けても、

悔いはないのか? 

今日の心境になるまでに

どのような心理の波が

あったのか」との質問に、

西田中尉は、

「現在ここ[鹿屋基地]に

来る人々はみな自分から

進んで志願したもので

あること。

したがってもはや

動揺期は克服している

こと」を述べた後で

最後にこう付け加えた

そうなのだ。

「学鷲は一応インテリです。

そう簡単に勝てるなどとは

思っていません。

しかし、負けたとしても、

そのあとはどうなるのです

お分かりでしょう。

われわれの生命は講和の

条件にも、その後の

日本人の運命にも繋がって

いますよ。そう、

民族の誇りに・・・」

実は元特攻隊員だった

上杉千郷・故皇學館

大学理事長から

「アメリカが無条件降伏

を求めていることは

知っていた。

条件をつけさせるために

突っ込むつもりだった」

と聞かされたのだ。

ここまでの認識はなくとも、

米軍の都市爆撃を知って

いれば、それをなんとか

食い止めたいと思うのは

当然なのだ。

特攻隊員の遺文の中には、

東京、名古屋、大阪の

空襲に触れたものも

あるのだ

若者たちが特攻を志願

せざるを得なかった

というのは、

こういう状況の中に

おいてなのだ。

決して、単なる

「死の賛美」「死の美学」

などではないのだ。

最後に「特攻」の戦果

についても触れたいと

思うのだ。

直接的な戦果については、

吉本貞昭著

『世界が語る 

神風特別攻撃隊』

(2012年7月、平成24年)

の第二部第一章

「封印された

「カミカゼ」の戦果」

の一部を引用するのだ。

「秘密解除された

米海軍機密文書は、

一九四四年十月から

翌年三月までの

五ヵ月間の記録で、

体当たり攻撃三五六回、

特攻命中一四○機、

命中率三九%、

特攻機至近の自爆による

被害五九機、至近自爆機

被害率一七%、

合計特攻効果率五六%、

命中艦船一三〇隻、

沈没 艦船二〇隻という

大戦果をもたらしていた

ことを暴露している。」

少なくとも、大規模な

組織的な抵抗がもはや

不可能の状況の中で、

「特攻」が最も効果的な

戦法であったことは

間違いないようなのだ。

そして、もっと目を

向けるべきだと考えて

いるのは、間接的な

戦果なのだ。

「特攻」「玉砕」

といった必死の抵抗が

「ポツダム宣言」による

「有条件」を引き出し、

占領後の敵兵の暴虐から

日本の婦女子をまもった

のだと考えているのだ。

そして、この抵抗精神こそ、

占領政策によって

アメリカが最も破壊

したかったものであり、

それを復活させない

ためには、安保条約を

結んで日本を抑え込む

しかなかったのだ。

その「抑止力」のお蔭で、

戦後日本は「経済復興」

に集中できたのだ。

戦後の吾々の豊かさは

「まさに特攻隊の戦果」

だとおもって感謝して

いるのだ。

その特攻隊に感謝

し続けるだけで、

近隣諸国は恐れて

くれるのだ。

日本国民は特攻隊員が

命に代えて築いてくれた

この「抑止力」を

手放してはいけないと

思うのだ。

そのために、彼等に感謝し、

慰霊を続ける、それが

何より大切なのではない

だろうか。

ちなみに、

クラウゼヴィッツの

戦争論に依拠して、

戦争とは目的を達成する

手段なのだから、自衛と、

自由貿易と、アジア解放

という三つの目的を

達成した日本は敗者

なのか? 

「神風」は戦後に

吹いたのではないか? 

というのが小室直樹の

持論だったのだ。

私も個人的には

物量戦で日本は負けたが

大儀を達成したという点で

日本は勝者なのだ

そう考える一人で

あるのだ

続きは次回だ

今日はこのくらいにしといたる

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