どうも村田です

ところが
南北朝の動乱が
始まって、
後醍醐天皇による
「建武の新政」が
行なわれ、
家督を継いだ息子の
北畠顕家
(きたばたけあきいえ)
が
後村上天皇
(当時は親王)を
奉じて東北に行って
しまうということで、
一緒に付いていったり
もしているのだ。
そうこうするうちに、
南朝側の重臣として
出世していくのだ。
ただ南朝の勢力を
拡大するために、
全国を転々とするのだが、
伊勢(現在の三重県)
に下っているときに、
伊勢神道
(度会神道
(わたらいしんとう))
を学んだとされているのだ。
親房は元から儒学や
仏教に関する素養が
あったのだが、
伊勢神道の思想が
結びついたことで、
親房独特の
「保守思想」に進化して
いったのではないかと
いわれているのだ。
彼は常陸(現在の茨城県)
に行って、豪族や大名
たちに
「南朝側に味方してくれ」
ということで、南朝の
正統性を宣伝するための
本として
『神皇正統記』
を書いたといわれて
いるのだ。
また後醍醐天皇が
亡くなった後に、次の
後村上天皇に対して
日本の歴史を教える
ための教本として執筆
したともいわれている
のだ。
最終的に南朝側は破れて
しまいますので、親房も
また現実的な政治勢力と
して力を失ってしまうのだ。
ところが、彼の著作や
思想は不滅なものとして、
後世まで残った
というところが重要なのだ
と思うのだ。
次の文章は
『神皇正統記』
で一番有名なところなのだ。
「大日本者神國也」
「天祖はじめて基をひらき、
日神ながく統を傳(つたえ)
給ふ。
我国のみ此事あり。
異朝には其たぐひなし。
此故に神国といふなり」
ちなみに異朝とはインドや
中国のことなのだ。
中国は易姓革命で王朝が
どんどん交代しているのだ。
しかし日本だけが
天照大神から代々続く
皇統があるのだ。
瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)
が天孫降臨から
「ながく統を傳給ふ」
ということなのだ。
統を伝えるのは、
すなわち伝統と
いうことなのだ。
そうした長い伝統を
持った国家として
日本があるのだと。
神様の時代から私たち
人間の時代まで脈々と
つながっているという
意味で、
北畠親房はまさに
「日本は神の国」
だといったのだ。
だが「神の国」
という言葉
(もしくは概念)は、
戦前の軍国主義の時代に
切り取られた形で解釈
されてしまったのだ。
「神風」という言葉が
あるように、その意味が
過剰に独り歩きして
しまったのだ。
ところが実際に
『神皇正統記』
を読んでみると、
そんなに神がかって
ないというか
山眞男氏が評価する
ように、親房は非常に
近代人っぽいところも
あって、
実に合理的というか
とても理性的に歴史を
捉えているのだ。
戦前の学者は
「『神皇正統記』
は不敬な書だ」
と言ったのだ。
なぜならこの本が
「この天皇は良いが、
この天皇はダメだ」
というふうな論評を
しており、
まったくもって
天皇を絶対化して
いないからなのだ。
実際に読んでみると
「天皇であっても結構
ボロカスに書いているな」
という印象なのだ。
ではこの本の何が
重要かというと、
天皇はずっと統を
伝えているのだが
なぜ続いてきたか
というと、天皇に徳が
あったからだという
ことなのだ。
ときどき徳のない
天皇が出てくると、
藤原氏のような臣下が
摂関政治を行なって、
きちんと知恵を絞って、
徳のない天皇から徳の
ある天皇へと皇統を移す
というふうな形をとって
きたのだ。
徳のない天皇は、
その人物を事実上追放して、
徳のある天皇の系譜に
移していった。
このやり方こそが、
日本の皇統が長く続いて
きた所以であるというのが
親房の解釈なのだ。
このあたりが非常に
面白いのだ。
徳のある人物が国を
支配すべきだ、
徳こそが政治の基本
であるというのが儒学
(当時は宋学)
のイデオロギーとして
あるのだが、そこに
日本の歴史や神道的な
要素が合体している
というのが興味深いのだ。
続きは次回だ
今日はこのくらいにしといたる

