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残っとんじゃ

どうも村田です

世界遺産になって

いる所でいうと、

有名なのは

オーストラリアの

エアーズロック、

あれはアボリジニの

人たちの聖地なのだ。

世界遺産になって、

観光客がその山に上

がるわけなのだ。

それを地元の原住民の

人たちはよしとして

いなくて、

彼らにしてみれば聖地

だから、

「そこを上ってはいけない」

ということになるのだ。

その時に、少し宗像の話を

書いていた記事があって、

「宗像の沖ノ島みたいに、

上がれる人というのは制限

をかけるべきだ」

ということで、

「ちょっとうちの世界

遺産が役に立ったかな」

と思ったのだ。

土地の方々は喜んで

「日本にだってこういう

事例があるんだから、

うちもそうすべきだ」

という話なのだ。

日本人は特にそうなのだが、

世界遺産だとか何かお墨付き

が付くと、

何でも見られるとか、

触れるとか、勘違いを

するのだ。

しかし、これは世界遺産に

なる前から言っていて、

開示すべきものと

そうではないものを

きれいに分けたのだ。

正直、宗像が世界遺産に

なるかどうかという

タイミングの時に、心配

したのだ。

世界遺産になってしまったら、

評価してもらえるのは

うれしいけれど、

今までと違って、観光客が

たくさん押し寄せたりと

そういう心配もあったのだが、

そこをうまくやってくれたのだ。

最初からそこははっきり

分けたので、それは行政の方

にもすぐ伝えたし、

「守るべきものと開示すべき

ものに分けますよ」

と言ったのだ。

守るべきものというのは

沖ノ島で、それは特殊なのだが、

UNESCOの方がしっかり

していて、

「きちんと保全だとか

保護をしろ」

というのが条件なのだ。

これは日本人がそこをよく

理解せずに、「見られる」

というふうに認識している

だけであって、

「こちらは国際機関である

UNESCOの趣旨にのっとって、

守るべきものと開示する

ものを分けますよ」

ということにしたのだ。

それを向こうは理解するのだが

日本国内の部分は

「何とかならんのか」

というのもあったけれど、

「いやいや、それは

UNESCOの趣旨にのっとって

保護すべき対象ですから、

そこは元に戻して神主しか

渡れないようにしますよ」

ということなのだ。

実はその心配をしていた時に、

屋久島が頭にあり、屋久島も

自然遺産になったことに

よって人がたくさん来る

ようになって、白谷雲水峡

というコケがとてももふもふ

していて、

『もののけ姫』のモデル

にもなったとも言われて

いる場所があり、

「そこのコケがだいぶ

退行してしまった」

というのをガイドさんから

聞いたのだ。

「そういうふうに

ならないといいな」と

思ったのだが、

実はきちんと分ければ

大丈夫なのだ。

逆に分けることによって、

以前200人渡していた人たち

を渡さないようにしたのだ。

逆に守られるようになった

のだ。

世界遺産にすることによって、

逆にきちんと保全、保護が

できるようになったという

仕組みなのだ。

沖ノ島には、たくさんの

国宝が眠っていたのだ。

これも

「一木一草一石たりとも

持ち出してはいけないのに、

何で国宝がこっちの本土に

あるんですか?」

という質問があるわけ

なのだ。

しかし、それは戦後どこの

地域においてもそうだが、

大変な時期があって、

沖ノ島にあるものをこちらに

少し持ち出そうかという、

いろいろな英断があったわけ

なのだ。

その時も、表面採取といって、

表にあるものだけしか取って

きていないのだ。

掘っていないのだ。

実は地下にたくさんあり

それは今でもあるのだけれど、

そこは当時の人も遠慮して、

宗像の歴史を戦後もう一度

きちんと整理をして、

宗像を再興させたという

理由で出したということ

なのだ。

表面にそんなにあると

いうのは珍しいのだ。

これもいろいろ話があるのだ

けれど、実は伊勢神宮と類似

する御神宝がたくさんあるのだ。

伊勢神宮というのは、20年に

一度、いろいろな数々の

御神宝類を作り替えて、変えて

いくのだ。

式年遷宮にてそして、あと

20年寝かせるのだ。

寝かせるというか、役目を

終えたら20年間置いて、

40年経ったら全部土に埋めて

いたのだ。

江戸時代まではそうで

そして、明治天皇になられて、

「これじゃ技術の伝承が難しく

なるから、土に埋めるのを

やめた方がいい」

ということで、明治以降は

残っているのだ。

続きは次回だ

今日はこのくらいにしといたる

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