どうも村田です

結合姓にしている
ということなのだ。
だから、
マウントバッテンの
男系があるので、
結合してくるわけなのだ。
こういう考え方は別に
アジアだけではなくて、
ヨーロッパにもあった
ということなのだ。
この氏によって何が
受け継がれているか
というと、
祖先や祖先神を祭る
祭祀(さいし)としての、
祭り主としての地位なのだ。
この辺が一番よく出て
いるのが、『古事記』
『日本書紀』
に出ている崇神天皇の
ところで、
大田田根子という人の
物語があるのだ。
これは大宮神社の神で、
崇神天皇の時に疫病が
はやるのだ。
崇神天皇がお祭りされて、
祈られて、
「どうしてそういうことが
起きているのか」
といった時に、
大物主という神が
「私を祭れば収まります」
と言われたので、
崇神天皇が祭られたのだが、
全然収まらないのだ。
収まらないので、もう1回
お祭りしたら、改めて
大物主神が現れて
「大田田根子という人を探せ」
と言われて、
それを探し出すわけなのだ。
探し出したら、大物主神の
子孫であるということが
分かって、
その人がお祭りしたら
疫病が収まったという
話なのだ。
つまり、古代の観念で
言うと、氏神を祭る
のは
その男系の血筋の人
でなければいけない
わけなのだ。
だから、天皇陛下が祭っても
ダメなのだ。
その氏の男系に
繋がっている人でないと
ダメなのだ。
そうでないと、神様に
通じないというか、
それが古代の神の観念
なのだ。
それを表しているのが
この物語なのだ。
一方、家の方なのだが、
家の観念というのは
family(ファミリー)
なのだ。
男女の結婚を中心とした
親子関係の中の繋がりを
仲間、同族と考える
ところで、
日本では中世、特に武家、
領主によって抱かれる
ようになった観念なのだ。
要するに
「自分の立場上この土地
を治めます」とか、
「力でもってここを治める
ようになりました」という、
言ってみると財産を受け
継いでいく習慣なわけなのだ。
だから、家というのは
言ってみると財団法人の
ようなものなのだ。
土地と、そこを守る職、
権限をどんどん委譲して
いくのだ。
それを守っている集団を
家と言って、その家を
表わすのが苗字なのだ。
だから、結婚して同じ財産を
守るようになった男女は同じ
苗字を名乗るわけなのだ。
そのため、夫婦同苗字に
なるわけなのだ。
よく
「夫婦別姓反対」
というのがあるのだが
けれど、あれは今の
われわれの観念で苗字も
氏も姓も同じように使って
しまっているから
そういう言葉が出るのだが、
夫婦は 血筋が違うので
別姓に決まっているのだ。
だが、夫婦は同じ職業と
財産を守っているので
同苗字なのだ。
だから、夫婦別姓と
夫婦同苗字というのは、
概念が違うので両立する
のだ。
それも一般的には認識
されていないことなのだ。
家の場合にはとにかく
財産を守っていく能力が
大事なので、
血筋というのは言って
みると二の次になって
いくわけなのだ。
だから、嫁さん、娘に
有能な部下をめあわせたり、
あるいは両方とも養子に
してでも、財産が続いて
いけばいいのが、家の
考え方なのだ。
ヨーロッパも結局
「the Royal Family
(ザ・ロイヤル・ファミリー)」
と言われるように、領主
の家なので、財産を守って
いく人たちの話なのだ。
だから、ヨーロッパの
王位継承法をいくら勉強
したところで、
日本には当てはまらない
わけなのだ。
徳川家には当てはまるかも
しれないのだ。
家や財産を継承していく
ものではなくて、皇室の
場合は祭り主たる氏を
きちんと継承していく
ということなのだ。
血筋を守っていくという
ことなので、そういうこと
なのだ。
実は、近世までは国民の
間でもこれは両立して
いたのだ。
例えば、有名な人の名乗り
で言うと、徳川家康が
「徳川次郎三郎源朝臣家康」
というので、
「徳川という家の、
源という男系の血筋の、
家康という個人」
であるわけなのだ。
源という男系の血筋の、
家康という個人なのだ。
続きは次回だ
今日はこのくらいにしといたる

