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時々立ち返らないといけんのじゃ

どうも村田です

人間の力で海を

封じ込めようという、

ああいうことは本来、

日本的発想では

ないのだ。

そういった意味では、

やはり日本自身も

そういう昔の

先人の知恵というか、

考え方をもう1回

見直さなくては

いけないし、

それからこれは、

その後、津波学者だとか

いろいろな人たちと

お会いして話をする機会

があって、

これはみんな知ることに

なったのだが、1,000年前

からある古い神社は、

1社も倒壊していないのだ。

そこを越えてきている

わけなのだ。

よく考えれば、そういう

強い場所に神社を建てた

とも言えるし、

壊れた所は危ないから

みんなが住まなかった

わけなのだ。

「ここより上に家を建てるな」

と、石碑に残されていたのだ

波除神社とかいろいろ

あり、それはやはり地形

として残っているわけ

なのだ。

今回、

「ナンセンスだな」

と思うのは、

東北の山を削ったり、

地形をいじったり、

そうすると、

1,000年後の人たちが

ひどい目に遭うのでは

ないかなと思っているのだ。

東北に蓄積された、

今までのデータが消える

わけなのだ。

だから、愚かなことを

やったのではないかな

という感じがしているのだ。

先人たちがせっかく

後世の子孫たちに遺して

くれた、

宝のような知恵を通じない

状態にしてしまったとも

言えるわけなのだ

あとは、この間の環境会議

でも話が出ていたけれど、

線状降水帯というものが

各地で起こり始めて、

土砂崩れがあちこちで

起こっているが

昔も土砂崩れというものは

あって、それを棚田だとか

そういう形に日本人は組み

替えていったということが

あるのだ。

「棚田っていうのは

人工的じゃないか」

と思うかもしれないけれど、

そこはうまく、そういう

地形を棚田に変えること

によって、

人が住めないようにしている

わけなのだ

だから日本人というのは、

そういう意味では

「何でこういうことが

起こったか」

ということで、まず

「神様に何か試練を

与えられたのか」とか、

「ひょっとしたら罰が

当たったのかな」

と自問自答しながら、

そこで折り合いをつけて

そういうものを作って

いくというこうとで、

やはり昔の知恵は

すごいのだ。

石工ではないのだが、

あの石の組み方にも

すごく技術があるみたい

なのだ。

本当に思うのだが、

自然災害が起こった時に、

「これじゃいかん」

と今の日本社会もそう

思うけれど、昔の人は

自然災害が起こった時に

「何で起こったんだろう?」

ということで、一旦

そこで

「神様の罰が当たったのか?」

あるいは

「何かわれわれに問題が

あったのか?」

と考えるわけなのだ

そこの違いというものが

如実に出たなと思うのだ。

うちの社報にも書いた

のだが、コロナ騒動が

あった時に、

「コロナと戦う」

とか書いてあったのだ

あれにものすごく違和感が

あったのだ。

昔で言う疫病で

昔の人は

「何で疫病が出たんだ」

ということを考えている

わけなのだ。

やはり、そこで一旦謙虚に

なって冷静さを持っている

わけなのだ。

だから、それはわれわれ

自身にも少し責任がある

のだが、

やはり一旦、自然災害、

「災害」という言葉が

そもそも良くないのかも

しれないが、

そういうものが起こった

時には、やはりもう1回、

先人たちの知恵と言うか、

かつての考え方に

立ち返ってやった方が、

実は答えがあるのでは

ないかなという感じるのだ。

自然への畏怖の念と、

謙虚さというのは表裏

一体のものなのだ。

大事なことに気付かせて

いただいたのだ。

あまりにも便利になり

すぎて、私たちも

日ごろの生活の中で

忘れているのだ。

時々立ち返らないと

いけないのだ

宗像大社、

そもそも「大社」

と名の付く神社も、

日本にはそれほど

たくさんないと思うのだが、

「こういうところが

ほかのお宮さんと違って、

こういうところにぜひ

注目してほしい」

という点を聞きたいのだ

続きは次回だ

今日はこのくらいにしといたる

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