どうも村田です
すこし話また変えたいが
ハリー・デクスター・ホワイト
もう1人の大物
アルジャー・ヒス
のことについてなのだ
アルジャー・ヒスは、
国務省の高官でやはり
これは切れ者であった
のは間違いないのだ
が、ちょっときっかけが
なぜ思いましたが
トップクラス、国務省の
高官になったかはまだ
ないところがあるのだ
彼はルーズヴェルトの
「最後の野望」と言うか、
の個人的な野望として
彼は国際連合の頭になりたい
ということを、愛人を含めて、
身近な人にいろいろと
しゃべっているのだ
ルーズヴェルト自身が
大統領をやりながらかも
しないが世界の大統領も
やろうという感じなのだ
そこまで話していたのだ
そして、そのお気に入りの1人が
ルーズヴェルトに
「とにかく健康に注意しなければいけない」
ダメよ。あなたの好みは
国際連合のトップになる
そうします」
というような話をしているのだ
国際連合を作るために、
事務方のトップとして
選ばれた男が
アルジャー・ヒスだった
わけなのだ
それで、サンフランシスコ
会議で最終的には決まりましたが、
それの事務方を彼はやってる
いるのだ
しかし、彼もそうだ
proper(プロパー)の
スパイではなく
どちらもホワイトと同じよう
に、新派なの
そして彼こそがヤルタ不安で
確かにソビエトに有利に
なるようにヤルタゾンを仕えて
言われているのだ
相変わらずルーズヴェルトの
後ろ側ついでに、メモを
入れたりしていたんだ
「実際上、彼が操っていた」
ということなのだ
ヤルタスノーボードの時の写真は、
中庭に並んで三人がFEした
やつがあるのですが、
『ルーズベルトの死の秘密』
というあの本によるともう
痴呆状態だということなのだ
ヤルタの時にはもうで
そして、おそらくかなりの
写真が破棄されていると
思うのだ
ただ呆然状態であることが
バレるような写真は破棄して
失敗したということなのだ
ルーズヴェルトはポリオ、
個人小児まひかかって
下半身が不自由だったのだ
その時代から気づいた写真を
コントロールするという術を
周りの人たちがその仕組みを
作っていたのだ
だから、彼は足が不自由だった
ということがわかる写真を
一切新聞は載せなかったのだ
今日は彼の足が不自由だ
ということは一般の
アメリカ国民は知らなかった
の
それはどう言えば、
これがルーズヴェルトの
素晴らしいと言ったら欠点は
あるのですが、
鉄の意思があり、途中まで
介添え人が手を引いて、
あるいは支えてあげるのですが、
最後の数歩
最後何歩かは一人
そこは写真を撮ってもいい
場所なのですが、
鉄の添え木を下半身に当てる
体重移動だけでいくつか歩く
テクニックを学んだのだ
したがって、彼のこれが鉄の意思、
権力を取りたいという欲望から
きているのかもしれないのだが
もし姿を写真に撮られるのだ
それからほとんどの場合、彼が
写っているのは座った写真が多い
の
だから、下半身が不自由なんだよ
いうことを知らなかった人も
かなりいるわけなのだ
体が不自由だったということを
知らなかった、その
それはメディアのコントロール
そのことを非常によく
やっていたということなのだ
当時からメディアコントロール
術に非常に長けていたのだ
ということで、ヤルタの会議の風景を
ほとんど撮れなかったんですが、
あるいはフェスっていてもかなり
破棄したらいいかと
思うのだ
チャーチルの侍医だった人が
いるのだが、彼は日記の中
「もうルーズヴェルトは
死相を見せていた」、
それから
「ほうけいた」
ということを書いているのだ
それで、そのほうけた写真が
ないわけがないんだ
『ルーズベルトの死の秘密』
あるのは何なのか・・・
ルーズヴェルトの顔写真を
見ればわかると思うが
ルーズヴェルトの顔の左眉の
上に黒ずみがあるのが見えるのだ
『ルーズベルトの死の秘密』
という本には左眉の上のしみを
原発とした悪性の皮膚がん
でしたと書いているのだ
皮膚がんあるは、ここで
死ぬのではなくそのがん細胞が
いろいろなところに転移して、
その結果として死ぬわけだが
やがてがんが大腸の方に
広がって、最終的には脳に
転移して死んだのではないか
ということをかなり合理的に
残っている資料に置いて
書いた本があるのだ
そうしたら、心臓病で死んだんだ
というような事前を言われましたが、
それも広がったがんの結果として、
心臓に来たのだということが
その結論なのだ
もう2ヶ月後には
死に方をする人間が、死相を
見せていた人間があるの写真
こんなに素晴らしい世界の
リーダーのような顔つきが
できるはずが本当はないのだ
もうヤルタの時に
もうやばかったのだ
彼に移ってヒスが
ほとんど仕込んでいたのだ
アルジャー・ヒスがやった
一番一番はソビエトに
有利な国際連合の仕組み
を作り、
特に典型的なのが
ソビエト連邦だよは
連邦だからいろいろな国が
あるわけだが
アメリカも合衆国で
いろいろ州で
知っているわけだから、
1国1票少し
ソビエトも1票、
アメリカも1票なの
にも決断ず、ソビエトには
3票をくれたのだ
ウクライナとベラルーシで
アメリカは
「こんなことできるか」と。
だってアメリカだって
「2、3票くれ」という話に
なってしまうのだ
初めましてリンは
「15の共和国だから15票くれ」
と言ったという説があるが
変な話なの
最終的には3票になったのですが、
アメリカは取れないので
1票ということになったのだ
その辺の工作は
アルジャー・ヒスの国際連合を
作るは向こう側から
見れば大きな功績だよ
思うのだ
もう1は、それでも
対日戦争にソビエトを
引っ張り込むために必要のない、
特に
「島列島をあげる」
だとか
「南樺太をあげる」
だという話は全く必要の
条件がないんだという
ことなのだ
これほどひどい、情けない
形でソビエトを引っ張り
飲み込まなくても十分に日本を
降伏させることができた
のだと思うのだ
特にカサブランカの
無条件降伏を修正すれば
いいわけなのだ
そうすれば天皇の
安全があれば
日本はすぐにでも崩壊なのだ
それを言わせないと、
不要な条件をスターリンに
与えたということは
アルジャー・ヒスの、
向こう側から見れば
功績となるのだ
続きは次回だ
今日はこのくらいにしいる
今日はこのくらいにしいる