どうも村田です

今度は下限で
このかめ棺の下限は
いつかというと、
漢式鏡Ⅲ期のかめ棺が、
前漢鏡が作られる
最後の年代、これが
下限になるのだ。
もちろん鏡が作られると
現在まで残っているから、
1,000年、2,000年と残る
のだが、かめ棺の中に
副葬されるというのは、
この立岩式かめ棺という
かめ棺に限定されるので、
下限を知ることができる
わけなのだ。
これによって中期後半
という段階の時期が前漢の
大体紀元前50年のころである
という予想が立ったのだ。
弥生時代の真ん中で
前期・中期・後期の
真ん中が紀元前50年である
ということが分かった
わけなのだ。
そうすると当時古墳時代、
古墳が出現するのは
紀元後300年と言われてた
のだ。
弥生の真ん中から300年後
に古墳が出現するという
ことになると、
ではその弥生の始まりは
この真ん中から何年前か
ということになるのだが、
当時の研究者は
「弥生の真ん中なのだから、
古墳までの300年と同じ
300年を前にさかのぼらせ
ましょう」
ということで、それで
大体紀元前の2世紀とか
紀元前の3世紀ごろが
弥生時代の始まりでは
ないか
というふうに考古学者は
考えていたのだ。
あくまでも真ん中の
年代が前漢の年代なので、
後の300年をそのまま
折り返すと、
中間地点が紀元前50年
だから、始まりも300年、
終わりも300年、
合わせて600年という
ふうに大体考えていた
わけなのだ。
そこに炭素14年代が
使われるわけなのだ。
ところが当時炭素14年代法
というのはベータ法という
方法で、
あまり精度が高くないのだ。
だから現在やっている
ような土器に付いている
すすとか、
それからお焦げといった
ものは当時の技術では
測れなかったのだ。
でどうしたかというと、
この土器と一緒に見つかった
木炭とか炭化したお米とか、
それから貝殻とか、
こういうのを測定していた
のだ。
そして板付Ⅰ式土器という
一番古い時に伴う木炭とか
炭化米とか貝を測定したのだが
なぜか年代がバラバラなのだ。
同じ土器に伴ったであろうと
思われるのに、バラバラなのだ。
で、当時の考古学者は
「炭素14年代なんて信じられない」
というふうに結論づけたのだ
当時はそう結論づけたのだ。
今ではこの板付Ⅰ式という
土器に伴ったという根拠
自身がおかしいのでは
ないかと考えられるように
なっているが、
当時の研究者は、これは
炭素14年代が信用できない
のだとなったわけなのだ。
だから板付Ⅰ式土器という、
一番古い弥生土器に伴う
測定値が同じ板付でも
3つか4つあるわけなのだ。
その中でも考古学者が
もともと頭の中に考えていた、
紀元前300年に来そうな
炭素14年代を選んで、
それをもとに西暦を
計算したのだ。
そして当時の考古学者が
選んだのが2,400プラス・
マイナス90、C14BPという
年代なのだ。
この2,400プラス・マイナス
90というこの数字だが、
これは炭素14年代なのだ。
炭素14年代というのは、
私たちが認識している
2,400、つまり2,400年で
太陽の周りを地球が1周
すると1年で2,400年だと
2,400回
ところが、この炭素の
2,400というものと、今説明
した2,400というのは同じ
ではないのだ。
炭素14年代と西暦は
同じではないのだ。
だから考古学者は2,400で
いいではないかと思った
けど、これは炭素年代だから、
実は全然そんなことが
ないわけなのだ。
しかも当時炭素14年代の
求め方の基準というのは、
1950年を基準に、そこから
何年前というような計算を
していたのだ。
1950年というのはどういう
数字かというと、これは
西暦1950年なのだが、
この1950年以降、実は
大気圏の核実験が盛んに
行われるようになり
1980年とか現在も含めて
そうだが、大気中の
炭素14濃度というものは
非常に高いのだ。
核実験を行っているから
なのだ。
1950年以前だと核実験以前
だから、ほとんど行われて
いない状態なので、
それで1950年が基準に
なっているのだ。
だから西暦1950年から
2,400プラス・マイナス
90炭素年をさかのぼらせた
ところが弥生の始まりに
なるという計算なのだが、
先ほども説明したように、
西暦から炭素14年代を引く
ことはできないのだ。
続きは次回だ
今日はこのくらいにしといたる

