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進んだんじゃ

どうも村田です

陸軍の改革について、

もう少し説明するのだ

昭和13年から始まった

改革だが、それまでの

1個師団、4個連隊

編制が3個歩兵連隊

編制となり、

それに歩兵連隊、

砲兵連隊、工兵連隊、

あるいは騎兵連隊、

輜重(しちょう)

兵大隊、衛生隊、経理部、

軍医部、獣医部などが

集まってそれまでの

約2万人から1万数千人

規模の体制になったのだ

ちなみに、騎兵連隊だが、

騎兵連隊は順次戦車連隊、

もしくは捜索連隊に

変わっていったのだ。

馬というのは必要ない、

騎兵というのは必要ない

ということで少しずつ

戦車もしくは捜索連隊に

変わっていったのだ

捜索連隊については後で

説明するのだ

帝国陸軍の場合、戦時は

上から総軍、方面軍、軍、

師団、連隊、大隊、中隊、

小隊、分隊となるのだ

師団と連隊の間に旅団、

兵団が入る場合がまれに

あり

旅団は普通入らないが、

兵団が入る場合があるのだ

総軍は終戦時、東日本を

担当する第1総軍、

西日本を担当する

第2総軍、

満州を受け持つ関東軍、

支那全土を担当する

支那派遣軍、

全南方を担当する南方総軍、

それと航空総軍の6つが

あったのだ

しかし、平時は軍に相当する

関東軍、それと朝鮮軍、

台湾軍、それに各師団があり、

下は中隊までなのだ

小隊、分隊は平時には存在

しないのだ

先ほども述べたが、中隊は

10個の内務班で編制されており、

各内務班は20人、下士官が

内務班長を務めるのだ

話を昭和13年から始まる

改革に少し戻し

師団の編制が変わったこと

は伝えたけれど、騎兵が

一部を除き原則として廃止

されたのだ。

第一次世界大戦で戦車が登場し、

さらに自動車が一般化して、

騎兵の存在価値が大きく減少

したのだ。

しかも、馬を調達して訓練して、

戦闘に使うというのはかなり

大変なのだ

そこで、宮城(きゅうじょう)、

今の皇居の護衛の近衛騎兵連隊と、

支那大陸にあった一部の騎兵連隊、

騎兵部隊を除いて、順次捜索

連隊に改編していったのだ

捜索連隊というのは、軽戦車を

主体として、主に斥候、奇襲を

行なうことを任務としたのだ。

近衛兵は戦争が始まると

一番最初に戦地に赴くことが

義務付けられていたのだ。

出征した近衛騎兵連隊は、

近衛捜索連隊に改編され、

別部隊となった留守近衛師団

に近衛騎兵連隊を残したのだ

これは皇室関係の行事との

関係のためなのだ

さらなる改革は階級で

改革前の陸軍の階級は、

下から二等兵、一等兵、

明治大正のころは

「二等卒」「一等卒」と

言っていたのだ、

上等兵、伍長、軍曹、曹長、

特務曹長、少尉、中尉、

大尉、少佐、中佐、大佐、

少将、中将、大将、

このうち二等兵から

上等兵までを「兵」と

言って伍長から曹長までが

下士官、特務曹長は准士官、

それ以上を将校と称したのだ。

改革では上等兵と伍長の

間に、兵として兵長を置いた

のだ

また、昭和12年には

特務曹長を准尉として、

特務曹長という階級を

廃止したのだ。

それまでは上等兵の中から

優秀者を伍長勤務として

下士官の仕事をさせていたが、

階級章は上等兵で、

「伍長勤務」と書いた

腕章を腕に巻くのだ

これでは紛らわしい

ということで、兵が激増

したことから伍長勤務を

とる兵隊に正式な階級を

与えて

仕事をやりやすくする

ことで兵長という階級を

つくったのだ。

また、軍服が詰め襟から

開襟に変わり、階級章は

肩から襟に移動したのだ。

連隊の所属を示す連隊番号

記章を廃止したのだ。

これは、肩に銃を乗せる

ことから、階級章が破損

したり、取れたりする

ことがあるから、

肩章から襟章に変えたのだ

連隊番号記章は、戦闘で

万が一戦死者が出た場合に、

戦死者の遺体、戦死体から

番号によって

連隊の数を敵に把握される

ことを恐れて廃止されたのだ

それまでは、兵隊さん、

将校もそうだが、少将以上は

赤短、青短、この襟の色は

なくなるのだが、

大佐以下は全部襟に色が

付いていて、赤色が歩兵、

山吹色は砲兵、緑は騎兵

というふうに決まって

いたのだ

例えば青い色は航空兵で

憲兵は黒、法務は白と

いうように決まっていたのだ。

肩章があって、肩章に

階級章を付けていたのだ。

これは二等兵から

大将まで皆同じで

そして、この襟のところに

連隊の番号を付けたのだ

連隊にいるものは、

連隊の番号が付くのだ

例えば歩兵第1連隊の

場合は、赤い襟章の

ところに金色の1という

数字が付けられるのだ

近衛の場合には帽子に

月桂(げっけい)樹が

星の横にあしらわれるから、

それで区別をしたのだ

明治時代はもっと違っていて、

帽子の色が今度は赤でもって

近衛は示して、

近衛以外は黄色い線の

帽子をしていたのだ

それが、この襟章を全部

外してしまって、襟の

ところに階級章を付けて、

肩には何もなくしてしまい、

番号も全部なくした

ということなのだ

支那事変から大東亜戦争に

かけては、部隊は大幅に

増強され、軍、方面軍が

たくさんつくられたのだ。

このため、師団、連隊の

改編はさらに進んでいった

のだ

続きは次回だ

今日はこのくらいにしといたる

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