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大きかったんじゃ

どうも村田です

史料というのは

こんなことを私たちに

知らせてくれるのだ。

ここで、本能寺と

二条御所の関係だが

「ここで信忠が死んだよ」

という所なのだ。

もう1つ興味深いのは、

ルイス・フロイスなのだ。

これは当時のポルトガルの

宣教師で、信長と仲が

良かった人なのだ。

そのルイス・フロイスが、

京都に南蛮寺というお寺を

信長に建ててもらっていた

のだ。

教会でこの南蛮寺というのは、

本能寺のはす向かいにあった

のだ。

だから、この日の朝、

ルイス・フロイスの弟子で

ある教会長が南蛮寺に来た

ところ、

何と書いてあったかというと、

「大騒動が起きた。着替えを

していたら。前の宮殿」、

これは本能寺のことで

ここには「三万の大軍」

と書いてあるが、これは

少し盛りすぎなのだ。

「大勢の人が押しかけて

宮殿を襲った」と書いて

あるのだ。

その時に何と書いてあるか

というと、明智がこの後半、

最後の3分の1よりも少し

前ぐらいに

「火が上った」

と書いてあるのだ。

「つぎに、喧嘩ではなく」。

「明智が信長に叛いて

これを囲んだといふ

知らせが来た」。

「明智の兵は宮殿の戸に

達して直に中に入った」。

この意味は、

「守る者がいなかった」

という意味なのだ。

戸の所から、スッと中に

入っていったということを

言っているのだ。

「直に中に入った。同所では

かくの如き謀叛(むほん)を

嫌疑せず、抵抗する者が

なかった」と書いてあるのだ。

誰も抵抗する者がなく、

「何なんだ」

というふうに嫌疑する者も

いなかったのだ。

要するに、

「直に入って誰もとがめる

者はいなかった。警備の兵

はいなかった」

ということが書いてあるのだ。

もう信長は手薄なんて

ものではないのだ。

それで、明智の兵がスッと

入ってしまって、鉄砲を

撃ち込んだのだ。

これは南蛮寺のボストン

美術館に残っている絵の

一部分だが

こんなふうに黒色の礼服を

着た連中がたくさん立って

いるのだ

これはイエズス会の人たちで

秀吉の時代になると、こういう

黒服の礼服を着た人たち、

イエズス会の修道士に加えて、

グレーの修道服を着た人が

出てくるのだ。

彼らがフランシスコ会で

だから、秀吉の時代になると

少し開くのだ。

フランシスコ会の人たちも

入ってきて、もっとにぎわう

ようになるのだが、

信長のころにはまだ黒服、

イエズス会しかほとんど

見られないのだ。

こんなことも、びょうぶから

いろいろ見えるのだ。

これは困った史料だったのだが、

天理大学の図書館で見つかった

数十年前のものなのだ。

『本城惣右衛門覚書』

という史料があり

この本城惣右衛門というのは、

本能寺に突っ込んだ最初の兵

たちの1人だと言われている

のだ。

彼が自分で親戚に宛てて

書いた手紙で、

「本能寺に自分より先に

入ったという者が現れたら、

それは嘘ですよ」

と言っているのだ。

「私が一番最初に入った」

ということなのだ。

この前には、

「門番もあいさつをして

入っていた。あいさつを

したものだから、その隙に

首を斬り落とした。

その首を持っていたら、

『その首は捨てよ』

と言われたので捨てた」

ということまで書いて

あるのだ。

そして、ここに

「ずっと知らなかった」

と書いてあるのだ。

途中のところだが、

「京都の山崎の方向へ行くと

思っていたら、逆の京都市内

の方へ行けと命じられました

ので、

このときは討つ相手は

徳川家康様であると

ばかり思っていました」。

つまり、この下士官の連中

たちには、

「どこかで徳川家康を撃つんだぞ」

というようなうわさが

広まっていたか、指令が

出ていたかなのだ。

うわさか司令か分からない

けれど、出ていたから彼は

こういうふうに書いている

のだ。

ところが、あに図らんや、

「僕は全然知らないけれども、

本能寺という所に行けと

言われた。

本能寺にまさか上様、信長が

いるとは思ってなかった。

けれども、本能寺に行けって

言われて行ったら、

門番も誰も素通しに入れる

ぐらい、ネズミ1匹いない

ような静けさだった」

と書いてあるのだ。

そこに行って、信長の命を

奪ったわけなのだ。

だから、

「最初は家康とばかり

思っていた」という

彼の記述が、謎が謎を

呼んでしまうのだ。

これは光秀が、

「家康がまだ京都に滞在して

いるはずだから、行って家康を

狙うんだ」

というようなことが内々に

言われていたということなのだ。

そして、本能寺の方に行き

彼の滞在していた場所は

本能寺の真ん前で

そうしたら、

「本能寺って場所も

知らなかった。入ったら

『上様だ』ってびっくりした」

というような感じだったのだ。

実際に家康の存在というのは

大きかったなと思うのだ。

続きは次回だ

今日はこのくらいにしといたる

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