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今しとんじゃ

どうも村田です

「唐が一番偉い」と言えば、

みんな唐のまねをするわけで

どんなまねをしたかというと、

礼をまねたのだ

要するに巨大なパノラマ

というか、いろんな

周旋周遊をやったり、

行進をしたり、それから

音楽を鳴らしたり、そして

そこに貴族が華麗な衣装で

入ってきて、

とにかく大体そういうこと

なのだ

そういうものの詳しい描写を

した研究も出ているのだ

これは実際には空海と

もう1人

空海と最澄が行って、これに

参列するのだ

それがずっと馬で走って、

馬で行ったり、徒歩で

行ったりして急いで行く

わけだが、

「日本から来た」と言うと

歓迎されて、これは結局、

服属証明するわけなので、

「よく来たぞ」というので何か

ご褒美をもらったりするわけ

なのだ

一時期、日本から来たという

人は歓迎されたそうだが、その

儀礼は日本の平安京でも行われて、

やはり渤海(ぼっかい)や

高句麗の使者を迎えて、

あるいは唐からも答礼が来て、

可能な限り壮麗な儀式が

行われるのだ

日本も負けなかっただろう。

一生懸命やったのではない

だろうか

礼の競争で

とても平和なのだ

礼の競争なら、あれはむなしいし、

バカらしいとも言えるけれど、

オリンピックみたいなものか

それで戦争しないということなら、

平和なら結構なことなのだ

ところが、唐が崩壊して

しまったのだ

これがなくなってしまったのだ

日本の国家的、国際的争いから

退いてしまって、驚くべき

ことが起こるのだ

その後、日本では天皇が権力の

主流からそれてしまうという

出来事が起こったわけなのだ

日本史にいうユニークな、

原点からの離反というのは、

これは最大のことなのだ

争いがあったからこそ、

天皇家は象徴天皇ではない

わけなのだ

争いがあったからこそ、

権力の中心なのだ

もちろん聖徳太子の時までは

そうで、聖徳太子自身は

天皇ではなかったけれど、

権力はきちんと握っていて、

そして立場を主張して、時の

中国皇帝に言うべきことを

きちんと言っているわけなのだ

しかし天皇が権力の主流から

それて、天皇とは別に上皇が

登場して、さらに武家が出現

すると、

皇権が一歩退いて二次的になる

という日本に独特の構造が発生

するのだ

これは東アジアの礼的秩序を

巡る争いがなくなった、

ということと切り離せないのだ

国際社会に無緊張状態が

生まれているのだ

9世紀以降、明治維新まで、

日本は鎖国状態にあったと

言っていいのではないか、

というのが観測なのだ

内乱や内戦はもちろんあったし、

元寇(げんこう)とか

秀吉の朝鮮出兵とかいうもの

はあったけど、

対外紛争というものを

知らないのだ

これはやはり地球上では

例外的な歴史で、

そのことと天皇家が権力を

失ったということは

切り離せない関係にあると

思うのだが、いかがだろうか

人間の生活は村や、町や、

家族や、同業組合やそういう

中間団体、あるいは

小集団社会に属していて、

会社であれ、官庁であれ、

学校であれ、そういうものが

さまざまな形で生活を支配し、

世話をしてくれてもいるのだ

自分がその組織に属して

いれば、何かあったら

みんなで協力してやったり、

それからまたそういう義務

としてでも世話をしてくれる

部分もあるわけなのだ

そちらに奉仕する場合もある

けれど、両方あるのだ

日本の近代社会というのは

昔も、近代になる前でも、

今でも、そういう保証が

それなりに公共社会として

成立していた社会でも

あったのに対して、

中国では人間の営みの

わずかな部分しか公共的に

処理される部分がないのだ

日本の場合、村というもの

があって、その村の中で

寄合とか、相談会とか、

そういう形で人間関係を

うまく処理していくケース

もあれば、それから親子、

親族以外に村や共同体や

所属する団体の人間関係に

よってうまく生きていける

仕組みというのが

日本の社会にはあるのだ

しかし、中国はそれがないのだ

それがなくて、公共的に

処理されないで、公共的に

必要な空間は国家によって

埋められてしまうのだ

そうなると極めてドライな

個人主義と他者無関心主義、

公共意識の喪失、むき出しの

利己主義、

そういうものが強くなってくる、

そしてあと単なる法的な力で、

強大な国家権力がそれを抑える

という構造しかなくなってくる、

というのは昔からの中国人の

姿なのだ

日本人は生まれながらにして

村の中に生きているけれど、

しかし中国の社会では1つ1つ

を結び付ける原理は何による

ものだろうか。

それは中国の謎になってきた

近年、いろんな本で研究が

唱えられたのだ。

何かで読んできていると

思うのだがここ10年、20年、

中国論が盛んになっている

うちに、

「中国人は何で宴会が

あんなに好きなのか」とか、

「中国人は何で親族だけを

ああいうふうに特別扱い

するのか」とか、

「同姓、同じ名前の人同士が

特別なつながりを結ぶわりに、

会社とかそういうものに対して

人間が冷淡なのはどういうわけだ」

とか、そのようなことなのだ

日本人だと

「会社が大事だ」

とかになるが、

中国人はそういうふうに

ならないのだ

ならないけれど、

「親類が大事だ」

というのが中国人の特徴なのだ

日本人は

「それは分からないな」

ということで、そこから

いろんな議論が出てきて

いるのだ

今その話をしているのだ

続きは次回だ

今日はこのくらいにしといたる

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