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デパートじゃ

どうも村田です

明智光秀は、力を持った

大名だったのだ

そして、坂本城の跡にある

明智光秀の石像だが、

大変立派な石像なのだ。

『明智家法』

というのを読んでみると、

こういうことが書いて

あるのだ。

「自分は石ころの

ような身分から」

と書いてあるのだ。

これは、流浪していた

ころのことなのだ。

「信長様にお引き立て頂き、

過分の御恩を頂いた。中略。

一族家臣は子孫に至るまで

信長様へのご奉公を忘れては

ならない」ということを

『明智家法』の中に

断言をしているのだ。

だから、信長に対しては

ものすごく忠節心を持った

家臣であったというのが

分かるのだ。

最初から野心があって、

「いつかはこいつを

やっつけてやろう」

なんて思っていたわけでは

絶対ないということなのだ。

そこら辺のところは、

明智光秀の人物像を見る時に

大事なところかなと思うのだ。

もう少し見ていくのだ。

いわゆる本能寺の変に

ついての通説を少し見て

いくのだ。

これはよく言われるのが、

家康を安土城で接待した

時の接待役を、

この明智光秀が仰せ

つかったのだ。

ところが、ドラマでも

少しやっていたが、

「魚が生臭い」

と言ったのだ。

あれは読んだ本の中では、

魚を捨てた所がお堀だった

のだが、

それが腐ってきて、

生臭いにおいを発して、

その責任を取られたとか、

いろいろ言われているのだ。

要するに、信長の怒りで

接待役を解任されたのだ。

これで怨念説、

「信長を恨んだんだ」

というのが、今まで

一般的だったのだ。

この論というのは、

あり得ないのだ。

あれだけきちんと家法に、

子々孫々に至るまで、

「信長様へのご恩を

忘れてはいけないよ」

と言っている本人で

そして、事もあろうに、

今度はそのために

「秀吉のもとに応援に行け」

と言われて、その時に

「分かりました」と行くのだが、

丹波国を取り上げるのだ。

そして、光秀はびっくり

したのだ。

その代わり、あの時に

「中国戦線に赴いて、

同じように切り取り放題

国をやるから取って来い」

と言ったのだ。

当時は中国戦線、

石見の国でこれは銀山が

あって、どちらかというと、

太平洋側の町よりも

進んでいたのは日本海側の

町だったのだ。

江戸時代もそうで

中国の方から逆さまにして

日本列島を見てみると、

上が弓なりになった日本列島、

下が中国、そして朝鮮半島が

出ているのだ。

つまり、ここは内海なのだ。

中国、朝鮮半島、日本海

というのは、大きく内海で、

この日本列島が弓なりに

なっていて、その向こうは

外洋、太平洋の外海なのだ。

つまり、中国の寧波

(ニンポー)もそうだし、

上海でもそうなのだ。

内海の方が、港が発達して、

日本を内海の北陸、中国、

博多もそうなのだ。

そちらの方が発達をしていて、

船も回っていたのだ。

「そこに行け」

と言うのだから、別に何の

損もないのだが、あたかも

今の感覚で、

「中国地方の鳥取、

島根の方に行け」と

言われて嫌がったのだ。

嫌がったというよりも、

きっと喜んだと思うのだが、

苦労して取った丹波国を

取り上げられるという

ところに不安を感じた

のかもしれないのだ。

光秀は本城の坂本城は

きとんと持っているから、

これもどうかと思うのだ。

しかし、これで危機説で

「俺は滅ぼされるんじゃ

ないかという危機感を持った」

と言われているのだ。

最後は愛宕山という所で、

本能寺の変の前の日に

連歌の会があったのだ。

その時に歌った歌で

野心説が出てきたというのだ。

こうなってくると、

もう何でもありなのだ。

そうすると、これは今までの

通説でいつも語られてきた

から、

平気でこんなことが

言われてきたのだが、

何でもありの世界で、

こんなにおかしなことは

ないのだ。

この辺りのところも、

1つ精査したいなと思うが、

ずっと時間が永久にあれば

いいのだが、そんなわけにも

いかないので、

少し簡単にまとめながら

話をしていくのだ。

今までの通説をずっと

物語ってきた4つの絵

なのだ。

これは

『絵本太閤記』で

一番最初は、みんなの前で

三成が叱られているところ

なのだ。

2番目は、森蘭丸に死体を

撃たせていて。これは

安土城だろうか。

最初の方は、会を攻めた後に

「ようござんしたな。みんな

頑張ったからね。大変だった

けどね」

というようなことを光秀が

言ったら、信長は

「おまえごときが何を

やったというんだ」

と言って怒って、

足蹴(あしげ)にした

という記録があるのだ。

それではないかなと思うのだ。

その隣が、多分安土での

失敗だろうか

森蘭丸に死体を撃たせていて。

そうなって、恨みに思った

光秀は左下で

これは亀山城で、そっと

自分の近臣を集めて、

「信長を撃つぞ」

という内密の相談をするのだ。

「その時には俺が

天下人になる」

ということで

右下のこれが、そのことを

歌に歌った時の愛宕山

連歌会の話なのだ。

この辺の『絵本太閤記』に

出てくる内容をもとに、

今まで通説として語られて

きたのだ。

しかし、こんな何でもありの

説というのは、考えてみたら

ないのだ。

これは光秀疑念説の

デパートなのだ。

「本当はどれなんだろうか」

とか、

「これじゃないんじゃないのか」

というのが、このごろ出てきた

のだ

続きは次回だ

今日はこのくらいにしといたる

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